ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が大コケした話

ドラゴンクエスト5の映画化作品である『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観てきた。ご存知の通り、この作品は途中までうまくトレースしていたゲーム原作のストーリーを、終盤の「ひっくり返し」によってラジカルに破壊した映画として話題になっている。ドラクエファンの怨念は極めて深く、例えば、eiga.comのようなウェブサイトにいくと、「悲しさと憤りで許せなく、このレビューを投稿するために会員登録しました」といった心のこもったレビューを見ることができるし、映画の平均点はなんと5点満点中2.1点という驚くほど低い点数であることも確認できる。

 

ぼくも上映開始翌日に見て、全体として完成度は申し分なかったものの、やはり彼らの感想と同じく、ラストの締め方は唯一褒められないと思っていた。クライマックスにおいて、突然に魔王ミルドラースが「仕組まれたウイルス」であることが判明し、主人公リュカが実は「VRによってゲームの世界を楽しむプレーヤー」であったと明かされる。繰り返しになるが、この締め方は褒められない。なぜならそれは、「…という夢を見ていたノサ」という「夢オチ」と構造的に変わらないものだし、SF系映画の界隈では「実はVRでリアルなゲームを楽しんでいましたとさ」は「実VR」と呼ばれるくらい「有名なひどい終わり方」のひとつである。これがにわかに信じられない方は、例えば『トータル・リコール』などの近未来SF作品を観ていただければすぐに理解できると思う。


つまり単純化して言ってしまえば、今起こっている『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』論争なるものは、「夢オチってアリだと思う?」「ないわー」「いや、オレは評価するけどネ」を延々と繰り返しているに過ぎない。

例えばこんなの↓
【ネタバレあり】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』論争巻き起こる作品構造を読み解く
https://realsound.jp/movie/2019/08/post-400786.html

「作品構造を読み解く!」と息巻いてみせても、結局は「夢オチ」や「実VR」の是非を、自分の感覚に引き付けながら無理やり正当化せざるを得ないのである。これは一言でいうなら、「不毛」そのものではないか。
…とまあ、以上のような状況であるから、逆にぼくは不毛な二項対立から離れた場所から、もう少し違った形でドラクエについて熱く語ってみたいと感じさせられた。

 

ぼくが『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のひどいラストを観ても冷静でいられたのは、ぼくにとって『ドラクエ5』が、さほど思い入れのある特別な作品ではなかったからである。『ドラクエ5』はスーパーファミコンではじめてリリースされたドラクエシリーズである。だが一方、スーパーファミコンという新しいハードウェアが発売された当時のエニックスは、ファミコンで前作『ドラクエ4』をリリースしてからまだ日が経っていなかった。ドラクエはその開発期間が非常に長く取られている作品として有名であったため、その発売時期は新しいハードウェアのリリースに対しかなり遅れての登場になってしまっていた。つまり、『ドラクエ5』のリリースは若干の「機を逸した感」が否めなかった。


ぼくはどちらかというとファミコンの『ドラクエ4』のほうが好きであり、それこそ何十回もクリアしている。だが、『ドラクエ5』以降、ぼくは段々と「ドラゴンクエスト」という世界観そのものに飽きはじめていた。一例をあげるなら、『ドラクエ5』の突然の「結婚しますか?はい/いいえ」に巻き込まれる世界観よりは、お互い惹かれあいながらも最終的に結ばれたかどうか微妙に明言されない、「ロック」と「セリス」の恋愛の駆け引き(ファイナルファンタジー6)のほうにリアリティを感じるようになっていた。だからここから話すことは、あくまで『ドラクエ5』をプレイはしたものの熱中することがなかった少年が、大人になって単なる感想を書き込んだものに過ぎないことを、最初に断っておく。

 

それでは改めて、ドラゴンクエストについて考えてみる。『ドラクエ5』の世界観を支える「天空の勇者」とは一体、どういうことなのだろうか。実は、ドラゴンクエストシリーズにおいて「天空の勇者」という概念が初めて登場したのは、前述の『ドラクエ4』が初めてである。それまでのドラクエは、徹底して「伝説の勇者」というキーワードが支配していた。伝説とはつまり歴史のことでもあるし、「天空」の比喩に対比すれば「大地(地球)」とも言える(実際に『ドラクエ3』では火山の穴の奥深くに存在する地下世界を攻略するので、この対比は正しいはずである)。ようするに、「天空」が現れるまでの勇者とは、歴史を紡ぐ英雄譚の中にあり、その歴史の反復こそが魔王を倒す勇者一行の物語になる、という構図を取っていたのだった。


ところが、「天空の勇者」はそのような、この大地で人間たちが紡いできた英雄譚の伝説を必要としない。地上人が決して交わることのない「天空人」が、単なるきまぐれで地上に遣わされたときに宿す子供…それこそが「天空の勇者」である。少しでも文学や社会学に詳しい人であれば、あきらかにこの「天空の勇者」がキリスト教における「イエスキリスト」の設定をなぞっていることをわかっていただけると思う。「天空の勇者」シリーズは、天空人の血縁者が、地上に降りることで奇跡を起こし、世界を救う話だ。それはまさに、神の子イエスが、救世主(メシア)として遣わされることの変奏曲なのである。

 

ドラゴンクエストシリーズにおいて、天空の勇者がイエスキリストであったことを述べた。ところでもうひとつ、「天空」の概念が導入されると同時に、ドラクエの主人公にはひとつの重要な変化が生じていることも見逃してはいけない。それは「主体」の物語の生成である。
ドラクエ3』までの主人公(勇者)は、自らストーリーを語ることはなく、他者の語りかけに「はい/いいえ」で受動的に答えるだけの自動機械のようであった。その「主体」は、大げさにいうのであれば人格ももたないし歳もとらない、そして性別もなかった。一言でいえば、その人物像の「設定」や「人生」、「物語」というパーソナリティを記述する情報がおおきく欠落していたのである。このような「一部欠損状態」の主人公に、人格と人生、物語を与えることとなったのは、まぎれもなく『ドラクエ4』以降の「天空の勇者」の設定である。例えば『ドラクエ4』の主人公は、天空人であるがゆえに幼馴染を殺され、冒険の果てに自らの故郷と母を知る。『ドラクエ5』の主人公は、天空人である母を奪われ、父を失いながらも、最終的にはわが子が勇者となる親子三代の物語である。

 

初期ドラゴンクエストシリーズ「伝説の勇者」は、主人公の人格に大きな欠落を抱えていた。その穴を埋め、人間性を回復することができたのは、「天空人」や「天空の勇者」という想像力であった。「天空の勇者」は、天空人の一族の血縁の物語でもある。勇者であるかどうかは、基本的には血筋が決定し、勇者はキリストの再来と考えられた。しかし他方で『ドラクエ5』においては、まったく偶然に、自分が勇者の父親であることが告げられたのである。勇者はある日突然、偶然に姿を現す。しかし勇者は、勇者をはぐくむ共同体(家族)がなくては生きてはいけない。だから「天空の勇者」の物語は、じつは「家族」について語る物語でもある。


どうしてぼくがドラクエの「家族」性に注目したのか。それは2010年代頃から、どういうわけかぼくたちは、「家族」について語るアニメの類を徐々に失っているという背景がある。例えば『ドラゴンボールZ』は「サイヤ人」という血縁による物語と、悟空の息子たちとの物語である。『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルはジオンダイクンの息子で、アムロ・レイも技術者ティム・レイの息子であった。『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジも、父ゲンドウの組織の中で苦悩し格闘する。
他方、いま流行っている物語「異世界転生モノ」であるが、基本的には「どこにでもいる平凡で家族のいない俺が死んで異世界にいった」という構造を取る。そこには、親交を深めて疑似家族のようになる例も描かれたりはするものの、血縁関係による家族の物語がない。ぼくたちは大人になるにつれて、ドラクエを楽しむ心を単に失ったのではない。むしろ、時代が物語から「血縁」「家族」を奪い去ってしまったのだ。

 

ここから強引に最初の話に戻そう。2019年の現在において、「天空の勇者」の物語を復活させるのは容易ではなかったはずである。それは、単に「中年男性の思い出の再構築が難しい」という技術的な問題だけではない。その困難は、いまぼくらが生きている時代が、「天空の勇者」が本来持っていた「神秘性」「血筋と血縁」「家族の物語」の失効してしまった時代であることと密接にかかわっている。
そういうわけでぼくは、いい脚本を書くことができなかった監督一同には失望を禁じ得なかったが、ある意味で不憫だったなと感じている。

『天気の子』最速レビュー

最速、って言ってみたかっただけ。

 

『天気の子』という、新海誠監督の最新作映画を見てきた。この作品のあらすじや、トータルとしてどういう評価を得ているかという概要については、例えばeiga.com的なウェブサイトに行けばいくらでも見ることができるので、有用な情報を得たい方はそちらを訪ねていただければと思う。ぼくはここでは前作『君の名は。』との比較において、『天気の子』を見た感想をつらつらと書いていくだけである。

 

まず、新海作品を語るためにはある単語を整理しておかなければならない。それは、今回の作品でも話題になっている「セカイ系」というキーワードである。セカイ系とは、「ぼくと君との恋愛感情をめぐるちいさな人間関係」が、いつのまにか世界の運命に直結しており、「世界の危機」「この世の終わり」というおおきな問題に突き当たる物語群を指す。例えば『君の名は。』では、平凡な10代の男の子が別の女子高生と体の入れ替わりを体験し、「ぼくと君だけのちいさな人間関係」を作り上げるが、その二人だけの関係はいつのまにか隕石落下による未曾有の大災害という「世界の終わり」に結びついてしまう。二人は神さまの力を借り、時空の結び目という特殊な回路を用いて、失われた世界を救いだすことに成功する。
大まかにいえば、高橋しんの『最終兵器彼女』もそうであるし、『涼宮ハルヒの憂鬱』もそういう構図を持っている。今に至るまで、数百を超える作品がこのような「きみとぼく」と「セカイの終わり」を直結させて描いてきた。ところが、『天気の子』は、この従来の「セカイ系」という呼称が当てはまらない可能性がある。

 

『天気の子』は確かに、平凡な家出少年「ほだか」が、晴れ女の「ひな」とちいさな恋愛をし、二人だけの狭い人間関係をつくり上げる。そして一見、ストーリーは「長く降り続ける異常気象の雨」という「セカイの終わり」に直接結びついているように見える。
しかし今回、実はそれは逆転しているのだ。『天気の子』において終わるのは、世界ではなく「ひなの命」のほうである。異常気象で雨が降り続くこと、それ自体が自然の摂理を意味し、つまり世界は「あるがまま、そうあるもの」の状態である。さらに、物語上、実は東京も滅んでいない。言い換えれば、世界はまったく終わっていない。ひなの命だけが、晴れを願いすぎたことによって一方的に終わってしまったのだ。

 

ストーリーの流れをもう一度、おおまかに整理しておくと、次のようになる。
家出少年ほだかが異世界東京の日常に迷い込む→晴れ女ひなが雨を止ませ、その反動のように雨が降る。ほだかは少しずつ、「日常の中の非日常の世界」を目撃するようになる→拳銃をぶっ放したほだかがポリ公に追われ、ひなの体が透明になる。完全な非日常タイムに突入する→ひな、逝く→ほだか、走る(24時間テレビのランナーのように、応援されながら)→鳥居の向こうの「神的世界」から、ひなを連れ戻す→日常に戻る→世界は平凡な日常だけど、「あの体験をしたぼくら二人にとっては、世界の形は決定的に変わってしまったんだ!」(他の人には世界は「あるがまま、そうあるもの」として見えてるのに)

 

さて、非日常的な体験をしてしまうと、日常そのものが大きく変わってしまうことはよくあることである。例えば、ぼくは去年の12月にグアム旅行にいってきたが、グアムという異世界を体験すると、しばらく東京での生活というのが寧ろ「異常な体験」に思え、世界の形が変わってしまったように感じた。同じように、この「非日常を体験することで、日常の形が変わって見えること」というのは、映画のネタとして実に頻繁に扱われるモチーフである。ペットたちが飼い主の留守中に大冒険をして、日常生活に戻ってくる『ペット』などは、まさにその典型だと考えて欲しい。つまり、ここでぼくが言いたいのは、新海誠監督の最新作『天気の子』はもはや「セカイ系」から遠く離れ、むしろ一般的なエンタメ映画へと着地した、ということである。

 

今まで見てきたように、『天気の子』は定義上、「セカイ系」と呼べなくなった。そこには単純なヒロインの命の危機と、それを乗り越えた男女の恋愛があるだけであった。しかし実際には、『天気の子』は「セカイ系作品の真骨頂!」などと世間的にレビューされている。
ここでぼくが注目したいのは、「セカイ系でなくなったにもかかわらず、ぼくたちがこの『天気の子』をセカイ系だと思ってしまう」ことだ。新海誠はきっと、そこを狙ったはずだ。彼はシナリオを「セカイ系」から、ただのエンタメ映画に巧妙にズラして見せた。にもかかわらず、ぼくたちはそこにあたかも「ぼくと君」と「世界の終わり」が直結しているかのように錯覚してしまう。この作品は、きわめて綺麗な風景の映像とともに、まるで二人が世界の運命を握っているかのように、ぼくたちの認識が誤作動することを仕組んだのである。

誰かと思えばKenkenでした

誰かと思えばKenkenでした。
「Dragon Ash」メンバー、大麻所持容疑で逮捕
https://www.asahi.com/articles/ASM7N21LCM7NUTIL001.html
大麻だと何となくわかっていたが、拾ったもの」←NEW!!

 

Kenkenはもう既に10年以上、若手ベーシストのカリスマとして君臨し続けている。主な所属バンドは「RIZE」だが、どちらかというとベーシストのいないバンドやシンガーソングライター、アーティストのサポートをすることが多い。「きれいなロン毛と激しいステージパフォーマンスで、画がもつ」という理由で、テレビをはじめとしたメディアの仕事と非常に相性が良かった。
そして、彼のもう一つの大きな特徴として、二世芸能人だということ、つまり両親もミュージシャンであったということである。音楽一家に生まれたKenkenは、幼少期から音楽の英才教育を受けてきたと考えられている。そして一般には、その才能の向かう先がベースという楽器であったとも受け止められている。


それらのエピソードが端的にわかる、非常に面白い動画があるので、そのURLも貼っておく。
https://www.youtube.com/watch?v=3kLQOQzxUJc

 

しかし残念ながら、この動画を見ると、ぼくは前言を撤回するか、もしくは修正することを迫られてしまうことになる。彼は音楽の正規の教育をあまり受けてきたとは言えない。彼のストーリーは、実際には音楽一家に生まれたのだから、きっと英才教育を受けてきた「であろう、という大衆の期待」のよって支えられていることが痛いほどわかる。


彼の演奏をよく見ると、①速いスラップと、②同じポジションでの同音連打、③グリッサンド様の派手なポジション移動 の3つしか行っていない。一方、そのようなパフォーマティブとも言える演奏に比して、彼の使用している「音階そのもの」は実に単調であるばかりか、初等的な音楽教育(小学校、中学校)で習得できるようなものばかりだ。ぼくらは普通、このようなプレイヤーを「正規の音楽教育を受けている」「音楽の教養、素養がある」とはみなさない。代わりに、「お祭り騒ぎ好きな、お調子者」だと考える。

 

ぼくの意見を裏付けるには、もうひとつ動画を見ていただく必要がある。
https://www.youtube.com/watch?v=RROcHKYz47Q

 

RIZEのライブは、まさに彼らがお祭りの真っただ中にいることを強く証明している。少しもメロディを歌えていないボーカルが「おれよりうまくできるやつがいたら、上がってくりゃいいじゃん」と言い放ち、背中を聴衆に預けてダイブする。この光景は音楽のライブというより、まさに、「お金のかかった学園祭」に他ならない。伝統的な意味においての音楽はその姿を完全に潜め、代わりにお調子者が日常を忘れるための祭りを演出して飛び跳ねる。


驚くべきことに、実はこの「上がってくりゃいいじゃん」のボーカリストこそ、あの世界的ギタリストのCharの息子なのである。Charは音楽の伝統を重んじ、歴史をふまえながら技術を磨くことで世界に受け入れられるほどのギタリストになった。ところが、息子JESSEには、少なくともそのような音楽にたいする姿勢は見られない。KenkenとJESSE、どちらにも共通するのは、「上澄みをすくってオイシイ汁を飲み、お祭りに明け暮れるお調子者」の実態である。

 

いま、そのふたりが揃いもそろって大麻取締法違反で逮捕されている。ぼくがこの文章で主張したかったのは、これは伝統的な意味での「音楽と、そのインスピレーションをつなぐ触媒としてのドラッグ」を意味せず、単に「ハイになってお祭り騒ぎしたかっただけ」のものに過ぎなかった、ということである。

彼らは実際に30歳も越え、お調子者で居続けることが難しくなってきた。大麻での逮捕はその「祭りのあと」、「夢のあとさき」を、確かに告げるものだった。

映画『Bill Evans Time Remembered』を見てきた感想

一か月ほど前になるが、『ビルエバンス・タイムリメンバード』という映画を見た。

http://evans.movie.onlyhearts.co.jp/

上映されたのはミニシネマのような、小さな映画館でのみの限定公開ではあったが、おそらく、ぼくだけでなく日本にいるビルエバンスファンの方々は全員見に行ったのではないかと推測される。


ビルエバンスは、わが国日本では異例の人気を誇っている。日本で最も人気の高いジャズピアニストと言っても過言ではないだろう。その人気ぶりを象徴するように、彼のCDはきちんとレコーディングした、いわゆる「スタジオ版」以外もかなり流通している。様々な場所で録音されたライブの音源がそのまま、CD化され受容されているし、そういったものを含めて、日本国内で手に入らないビルエバンスのCDはほとんどない。
ところが他方、実は本国アメリカにおいてビルエバンスがさほど人気でなかったという事実にも触れておかねばなるまい。アメリカでは、マイルスデイビスの『カインド・オブ・ブルー』以降、一時的にビルエバンスのライブに観客が殺到する「カインド・オブ・ブルー特需」があったが(スコットラファロ在籍時の「黄金期」である)、マイルスデイビスの専属ピアニストがハービーハンコックになって以降は風向きが変わり、後期ビルエバンスはそれほど受け入れられていない。
しかしビルエバンスの演奏や楽曲は、ヨーロッパにおいてきわめて熱狂的に受け入れられた。実際、いまわれわれがYouTubeなどで閲覧できるビルエバンスのライブ動画のうちいくつかが、実はヨーロッパのツアーやテレビ番組の収録であったという事実が、そのヨーロッパでの人気を如実に物語っているだろう。その理由は、彼がブルース由来の熱さや力強さ、また速いパッセージのテクニックよりも、むしろ緻密なハーモニーと美しいメロディを重視したことによる。この現象は「黒人のジャズが白人化した」と俗に言われているが、ようするにそれはビルエバンスが「西洋クラシック音楽の伝統を重んじた、新しいジャズ音楽を創り上げたピアニスト」だったということに尽きる。
一方、わが国日本は音楽の後進国であるので、ビルエバンスの受容にはもう少し時間がかかっている。ヤマハなどのピアノメーカーが主導した「一億総クラシック計画」的なプロジェクトにより、大規模なクラシックピアニストの育成に成功した日本。そうした背景のもとでは、やはりヨーロッパの場合と同じく、ビルエバンスは人気である。


さて、ぼくがここで考えたいのは、ビルエバンスが同時代のアメリカでさほどウケなかったにもかかわらず、場所(ヨーロッパ)と時間(日本)をこえて人々に受け入れられた、その意味である。


おそらく、当時のアメリカには同時代の人々に受け入れられようと、懸命に「合わせに行った」ピアニストたちや、ミュージシャンたちがたくさんいたことだろう。そして、彼らは一時的に、ビルエバンスをはるかに凌駕する人気と売り上げを得たはずである。しかし、2019年のぼくらは彼らのことを一切知らない。時代の空気を読んで、積極的に当てにいった輩は、結局のところ歴史に名を残すことができないのである。


この事実は、ぼくたちに少し考え方の変更を迫るものだ。2019年のいま、ぼくたちはピコ太郎さんの『PPAP』のことや、前前前世のことを少しも覚えていない。ゲスの極み乙女の川谷えのんさんがベッキーと付き合っててライブで深々と頭を下げたことも、セカオワのメンバーがひとつ屋根の下「セカオワハウス」に住んでたことも忘れている。そのかわり、いまの世界は米津玄師に夢中である。しかし、ぼくらはこの先いつまで、米津玄師のことを覚えていられるだろうか。少なくとも、ぼくにはその自信がない。


映画『ビルエバンス・タイムリメンバード』を見たぼくは、それまでビルエバンスのピアノを何百回も聴いてきたにもかかわらず、また新しい発見をいろいろと得ることができた。いささか感傷的な表現になるが、彼のピアノをあらためて聴くと、まるで時間と空間を超えて、未来のぼくに向かって語りかけていたような気がしたのだった。
ビルエバンスは、積極的に同時代の空気に合わせにいかず、ひたすら音楽の伝統の上に立脚しながら、新しい音楽の可能性を探り続けていた。その結果、事後的にではあるが、彼のピアノは時間と場所を超え、未来に向けて奏でることとなったのだ。


昨今ほど、リアルタイムメディアが発展した社会もない。よく言われることだが、ピアニストとしていま最も有名になる方法は、都庁にあるグランドピアノで米津玄師の曲を演奏し、YouTubeにアップすることである。現に、ネット上の動画にはそういったものがすでに溢れ、飽和状態になっている。だが、彼らのピアノは、10年後、20年後の他者に語り掛けることができるのだろうか?
映画を見たぼくは、そうしたリアルタイムの音楽から遠く離れ、未来に向かってピアノを弾きたいと思った。かつて、ビルエバンスがそうしたように。

当時の熱狂を覚えてるぼくが、ネガティブなことをひたすら書きます

椎名林檎が40歳を迎え、新しいアルバム『三毒史』をリリースした。そのプロモーションの一環で、いま音楽メディアは椎名林檎一色の盛り上がりを見せている。ウェブや雑誌など媒体問わず取り上げられており、インタビューも受けているし、また、非常に驚くべきことだが、youtubeでお笑い芸人を相手にアルバムの解説や、自身のことについてのプライベートな質問などにも答えている。


当のアルバム『三毒史』については、率直に申し上げて「椎名林檎以外の『外野』が、巨額の資金と労力を投入して作り上げた作品」と言うほかないだろう。各曲のレコーディング環境やアレンジ、演奏力やミックス…どれも非の打ち所がないくらい、いい音質に仕上がっている。椎名林檎があまりチャレンジしてこなかった英詞での導入部分などは、わざわざそうしたイメージにマッチするよう、綿密な編曲がなされており、現在の日本のサウンドエンジニアたちが優秀であることを実感する次第だった。


しかし、椎名林檎自身は、この中でなにかしているのだろうか、と思った。確かにコブシのきいた歌謡調のボーカルで攻撃的に歌い上げるメロディは健在だったが、残念ながらデビューアルバム『幸福論』や東京事変の『教育』で見せつけられたあのインパクトには遠く及ばない。むしろ、そのインパクトの不在こそが、前述のとおり華麗なアレンジや高い演奏力など、「頑張っている外野」につい耳を運ばせてしまう。
それにもまして、このアルバムを特徴づけるのは、ゲストボーカルの異様な多さである。13曲中6曲にトータス松本宮本浩次などの有名どころが名を連ね、それが一曲おきに配置されている。これほどのフューチャリングは「おまえJAY-Zエミネムか」と言いたくなるぐらい、ヒップホップアーティスト並みのコラボ感である。ここもまた、ギャランティという巨額の資金投入とともに、ゲストたちの素晴らしい「外野の頑張り」が見いだされる部分である。
ともあれ、往年の椎名林檎ファンにとっては、あの椎名林檎が多彩な男性ゲストたちとコラボすることがまさに夢のようだし、ましてやyoutubeで個人的なことをしゃべったり視聴者に向けて語り掛けてくれる、なんていうのは考えられないことで、気が狂うくらいうれしいはずである。だからぼくは、このアルバムに関する評価は保留するし、緻密に消費者の需要に応えた作品として評価を与えるべきなのだと思う。


だがしかし、ぼくが危惧を覚えずにいられないのは、日本の音楽界がまだ「椎名林檎」という神輿を必要としているという事実そのものにある。『幸福論』のデビューから20年、そして東京事変の『教育』リリースから10年以上が経過した2019年の現代において、ぼくたちは椎名林檎に代わる新しいカリスマを探せずにいるばかりか、積極的にその神輿を担ごうとする者たちに溢れている。


椎名林檎はまぎれもなく、カリスマだった。カリスマは消費者に決して媚を売らず、テレビのインタビューにもめったに答えなかった。激しい楽曲にもかかわらず、敢えて淡泊で一切動かないライブパフォーマンスをしていたのはファンならば常識であった。だから繰り返し言えば、彼女は媒体問わずインタビューも受けて、youtubeで和やかにお笑い芸人と話すようなアーティストではなかったのだ。


むしろ、こう言ってもよいかもしれない。椎名林檎は既存の女性ボーカルの価値観を破壊し、東京事変はバンドのあり方を根底から覆した。その意味でカリスマであり、革命者であった。しかし今の彼女は、既存の音楽界で安定して一定の地位を築いたエスタブリッシュメントトータス松本などの「ビッグネーム」)とともに戯れ、既存のシステムの中で効率的に利益を獲得するアーティストになってしまった。椎名林檎は、東京事変で「無名だが実力のあるスタジオミュージシャン達」をバンドメンバーに加え、前面にプッシュしてきた人まさにその人である。もし仮に10、20年前だったら、彼女はゲストボーカルに「無名だが、音楽界の常識をひっくり返すような新人」を起用していたに違いない。


『幸福論』から東京事変を経て、ふたたびソロアーティストになった椎名林檎は、いま担がれる神輿となって、保守的な消費者たちにいいようにカモにされている。にもかかわらず、音楽界はいま彼女を最も必要としていて、関係者はその神輿を下すことができない。当時の熱狂を覚えているぼくとしては、端的に、この事実がとても悲しい。

ラブひなた荘

ラブひな』というマガジンに連載していた漫画のタイトルを聞いて、嫌な顔をする人は多いだろう。それもそのはずで、この漫画は一話につき女の子のパンツや裸やその類が必ず複数個挿入されている、れっきとした「パンチラマンガ」であるからだ。しかしながら、残念なことにぼくはこの週末を利用して『ラブひな』全14巻を読破してしまった。そして意外にも面白い気づきがあったので、少し紹介しようと思う。


ラブひな』は主人公である浦島景太郎が、幼い頃に「約束の女の子」と「一緒に東大行こう!」と約束したことから始まる。彼はその思い出を守るため東京大学を受験しようと試みるが、ことごとく失敗している。2浪ののち家を追い出された景太郎は、祖母が経営するはずの温泉旅館を頼るのだが、そこは女子寮「ひなた荘」であった。この物語は、浦島景太郎が唐突に「ひなた荘」の管理人となり、東大を目指して勉強することを口実に、住人の女の子たちと「ラッキー・スケベ(ラキスケというらしい)」に満ちた酒池肉林の日々を過ごすストーリーなのである。


ラブひな』は女の子がきわめてたくさん登場するというギャルゲー要素が強いため、メインヒロインを特定しづらいのだが、ヒロインは明確に二人存在する。「成瀬川なる」と「乙姫むつみ」である。
成瀬川なるは景太郎と同じく東大を目指しており、全国模試でもトップクラスの成績だったが受験に落ちてしまう。高校時代の家庭教師、瀬田に恋をしており、それが東大を目指すきっかけであった。また、幼いころは病弱でもあって、記憶をほとんどなくしている。
一方の乙姫むつみは超天然のマイペース野郎で、なると同じくほとんどの記憶を失っていたが、抜け目なく景太郎が初恋の相手であったことを思い出しており、「約束の女の子」のことを唯一記憶する存在となっている。彼女もまた、二人と同じく東大を目指している。


この「浦島太郎」「乙姫」というネーミングからもわかる通り、明らかに「ひなた荘」とは景太郎にとって現実から隔離された「竜宮城」である。ゆえに、ここには一種の倒錯がある。一般人にとってまさに「夢のような話」である東大合格も、景太郎にとってのは夢のようでいて、実は全くそうではない。読者は竜宮城「ひなた荘」でくりかえし「ラキスケ」な遊戯に耽っている、その景太郎の生活こそが「いつまでもこんなふうにドタバタしていたい夢」に感じるのだし、東大こそがまさに「いずれ訪れる、向き合いたくない現実」だと感じるのだ。
ラブひな』の世界に外部は存在しない。たまに予備校や東大が描かれるが、特に東大はまるで仏像のようにその姿を現すだけで、実際にそこを舞台に物語は展開しない。予備校の同級生も二人ほどいるが、影は薄く基本的には非モテモブの域を出ない。だからこの作品は、外部のない「ひなた荘」の中でひたすら女の子たちと永遠に戯れるお話である。この構図はまさしく、「友引町」という街の中のみでドタバタし続ける『うる星やつら』を考えてもらうと分かりやすい。『うる星やつら』には決して外部は存在せず、いつまでも続く珍道中を、学校を中心とした狭い登場人物たちの中だけで繰り広げていた。『ラブひな』はそうした「外部を必要としない島宇宙ユートピア」の、男目線ハーレム版と解釈できるだろう。


と、ここまではwikipediaで『ラブひな』と検索すれば誰でもアクセスできそうなことばかり書いてきた。だから、誰にでも思いつきそうなことしか言っていないはずである。しかし、ぼくが考えるに、この作品が真に面白い展開を見せるのは8巻以降と言える。実はこれまで説明してきたことは『ラブひな』の単行本7巻までの設定なのであり、そこまではありきたりでたいして面白くないのだが、8巻以降にこの作品のオリジナリティが発揮されているのだ。どういうことか。実は8巻以降、景太郎は成瀬川なるや乙姫むつみとともに、東大に合格してしまうのである。


先ほどぼくは、景太郎にとって東大こそが夢ではなく、むしろ戻りたくない現実であると述べた。これは隠喩として言ったのではなく、ほとんど文字通り、東大合格をきっかけにして景太郎が現実世界(ひなた荘の外部)へと引き戻されてしまったことを意味する。事実、景太郎は一度も大学に通うことが描写されないし、そして瀬田さんの手伝いをするためアメリカ留学をするので、ほんとうに作品から消え失せてしまう。つまり、8巻以降の『ラブひな』は、浦島太郎を失った竜宮城の住人たちが、もう一度浦島太郎を取り戻す作品に変貌するのである。


8巻以降の主人公は、誰が見ても明らかなとおり、成瀬川なるである。ゆえに物語は、景太郎という「ラキスケを目撃する第三者の眼」の不在のまま、成瀬川なるを中心とした女の子たちのエロいシーンが立て続けに起こるきわめて珍しい事態へと突入していく。


さて、ここで重要な問いを立ててみよう。浦島景太郎が浦島太郎だとしたら、そして、乙姫むつみが乙姫なのだとしたら、いったい成瀬川なるとは何者なのか?
実は、何者でもない。それは先ほども例に挙げたwikipediaで「成瀬川なる」と検索すれば、設定が非常に薄いことがわかるだろう。成瀬川なるは単にそこにいた、竜宮城のひとりの住人に過ぎなかったのだ。

7巻には印象的なシーンがある。景太郎は左手にむつみの手、右手になるの手を握り、階段を上る。登り切ったところで、「どちらかひとり、好きな娘を選んで。選んだ娘の手は握ったままで、選ばなかったほうの娘の手を放して」と要求される。しかし、景太郎はどちらの手も放すことができなかったのだ。景太郎は一人の女の子としてなるのことが好きだから、手を離すことができない。しかし一方、なるは何者でもないゆえに、「約束の女の子」である乙姫の手も離すことができない。このシーンは、景太郎の優柔不断性を強く表しつつも、実はヒロイン成瀬川なるの設定―好きな男の子に選んでもらうための根拠の不在を鋭く突いているシーンでもあったのだ。


8巻以降の主人公となった成瀬川なるは、人が変わったように強くなる。東大に落ちたと勘違いして家出してしまった景太郎にカツを入れにいくし、景太郎の妹とも互角に渡り合う。最終的には景太郎の容姿や言動が、昔のあこがれの人だった「瀬田化」するというオイシイ展開にも恵まれる。成瀬川なるは、それゆえカッコよくなったかつての主人公と結ばれ、幸せをつかみ取る。そうして『ラブひな』全14巻は完結するのだった。
そう、8巻以降の『ラブひな』は、決して何者でもなく、何者にもなれなかった成瀬川なるが、何者かに「成る」ストーリーだったのだと言える。成瀬川なるは浦島景太郎を取り戻そうと必死でもがいた。それは好きな人を取り戻すための旅のようでいて、設定の薄かった自分自身をもう一度取り戻す旅に他ならなかったのだ。


そういう点で、『ラブひな』は非常に面白い作品だった。実は他にも「浦島景太郎の去勢」というテーマについて語りたかったが、それは紙面の関係上また今度どこかで書くとしよう。

エンジェルズ・クライ

ANGRAの元ボーカル、アンドレ・マトスの訃報を聞いた。まだ若かったと思うので相当驚いている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190610-00000088-bark-musi


ANGRAはブラジルのメタルバンドで、1994年にデビューしている。当時、日本のヘヴィメタルはかなり元気がなくなっていた頃だったが、それはチェーンとかよくわからない金属をジャラジャラつけて徘徊する「ファッションメタル」が衰退したという話である。そのような頭の悪い連中が去った頃の90年代、意外にもヘヴィメタルは高学歴層や都会の若者など、インテリ層を中心にウケていた。彼らはメタルをより音楽的に解釈しており、メタルが秘める音楽としての可能性を素朴に信じていた。むろん、今よりは遥かに熱心なファンが多かった時代である。
日本ではエックスジャパンが大成功したこともあり、彼らの哀愁のある(そして速い)メタルサウンドは両手を挙げて歓迎された。エックスとはだいぶサウンドの感触が違うものの、目指している方向はそれなりに似ていた。速い、激しい、そして哀愁、の3拍子揃ったメタルを業界では「メロスピ(メロディック・スピードメタル)」というらしいが、とにかく、エックスもANGRAもその「メロスピ」だった。だから日本では受容された。
ANGRAはエックスに比べると圧倒的にテクニカルであった。例えばエックスのhideのギターソロは、実はギターはじめて1年くらいの若造でもコピーしようと思えばできるが、ANGRAキコ・ルーレイロのギターソロはその程度の練習量では絶対に弾けない。大人になっても弾けない人がほとんど、というくらい難しかった。そして、何よりボーカルである。エックスのトシは声が細く、初期はダミ声で汚い。後期も声が出なくなったりして心配になる有様だった。それに比べると、ANGRAアンドレ・マトスの歌はトシが歌っている音域よりもはるかに高いうえ、非常に安定していた。だから、ANGRAはエックスよりもディープでありつつ、テクニック的にはエックスをはるかに凌駕するマニア受けバンド、という位置づけだったのだ。
当時高校生だったぼくも、エックスジャパンに感染したあと、例にもれずANGRAにハマった。三作目『Fireworks』のリリース時に日本ツアーが組まれ、名古屋のライブハウスに見に行ったこともある。しかし、アンドレ・マトスはこのアルバムをきっかけにANGRAを脱退してしまった。理由はよくわからなかったが、「自分のほんとうにやりたいバンドがしたい」みたいなことだったと記憶している。その後、アンドレ・マトスはシャーマンというバンドを結成した。他方、ANGRAにはエドゥ・ファラスキという、アンドレ・マトスよりも超人的なS級妖怪ボーカルが入り、バンドとしての絶頂期を迎えた。
ANGRAが絶頂期を迎えた頃、ぼくは大学生だったが、『Rebirth』『Temple of Shadows』も聴いた。それらはたしかに素晴らしいアルバムだったが、何かが決定的に違っていた。その違和感とともに、ぼくはその成功を一歩引いた場所から、複雑な心境で眺めていた。絶頂期には初期ANGRAを上回るパワーとテクニックが詰まっているものの、しかしアンドレ・マトスが与えていた「哀愁」が欠落していたのだ。気づけばいつしか、「速い、激しい、哀愁」が「テクい、速い、激しい」の3拍子にすり替わっていたのだった。


アンドレ・マトスの新しいバンド「シャーマン」は全然聞いていなかったが、ANGRAもその後は下降線をたどり、結局どちらもあまり聴かなくなってしまった。この傾向はぼくだけでなく、実際、時代の流れと共鳴していた。2000年代中盤だったが、日本のバンドマンはこの頃から急激に、驚くくらい「テクいこと」をしなくなったし、「哀愁」も嘲笑するようになった。時代の空気が、そうした音楽を「ダサい」とあざ笑うようになったのだ。
それから10年ほど経つが、ぼくはやはり日本の音楽が選んだ道は良くなかったと切に感じている。自分の技術のなさや作曲能力のなさを、「それって音楽に必要?ダサいしいらなくね?」と言って誤魔化し、それよりも簡単にできることばかりやって浮かれてただけなんだと思う。ぼくは今、日本の音楽が苦境に陥っているさまを見て、アンドレ・マトスのやりたかったことも、キコ・ルーレイロのやろうとしていることも、それなりに理解できるようになった。つまり、音楽にとって「テク」と「哀愁」は絶対に切り捨ててはいけないものだったし、そのふたつからダサいを言い訳にして逃げてはいけなかったのだ。少なくとも彼らは、そのことに真剣に向き合っていた。


ぼくは高校生の頃、ANGRAのデビューシングル『Angel's Cry』の名前を借りて、エンジェルズクライというオリジナルのヘヴィメタルバンドを組んでいたことがある。それくらい愛していたバンドだった。アンドレ・マトスの訃報を聞くのはとても辛いことだが、まだ彼のスピリットは自分の中に生きているし、大切にしていかなければならないと感じている。あらためて、ご冥福をお祈りする。