ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

どうぶつの森ポケットキャンプ

どうぶつの森スマホアプリ、ポケットキャンプがリリースされ、話題を集めている。もともとDSなどのハードで出していたゲームであったが、ここへきてスマホゲームとして生まれ変わり、SNS要素なども加わってかなり人気になっているようだ。

 

ぼくはこのゲームを少し眺めて、面白いことを発見した。それは、「どうぶつ」と「フレンド (にんげん) 」との奇妙な違いである。

 

このゲームは基本的に、各地にいる住民「どうぶつ」たちの「おねがい」を聞き、そこで要求される収穫物やアイテムを相手に渡す。そうしたおねがいの成果物として得られる、お返しの品やお金、そしてなかよし度 (経験値) を獲得することが目的である。これを軸にして、どうぶつを自分のテリトリーであるキャンプに招待したり、改築し、とにかくゴージャスにしながらゲームを進めていく。


このシステムとは別に「バザー」という機能があって、現実世界に存在するにんげんがサイバースペース上で「フレンド」同士としてつながり、互いに収穫物を売買しあう。場合によってはレアなアイテムなどをお金を使って交換しながら、効率よくゲームを進められる、SNS的要素を含んだシステムだ。


ぼくはこの、「どうぶつ」と「にんげん」のあいだの、取引の非対称性にすごく興味を持ったわけだ。


古来、アフリカに登場したホモサピエンスは、お互いに食物同士を交換しあっていた。まず相手に与え、そしてお返しをもらう、互恵的な関係を築くことによって小さな集団社会を形成し、互いの争いを避けてきた。


しかし、そこから人間は貨幣というものを発明した。貨幣とは、すべてのモノと交換できる価値をもった交換媒体のことである。貨幣によって、人間はより大きな範囲の、あったこともない人たちと出会い、取引し、それをきっかけにして連帯し、国家レベルの集団になることが可能となった。人間はある段階から、個々の具体的なモノを欲しがるよりは、むしろこの貨幣そのものを欲望するようになり、その無限の欲望を原動力にすることによって、おおきな社会を形成するに至ったのだ。
これこそ、人間が人間であるゆえに、人間のみが作り出した発明品である。あらゆる動物の中で人間こそが、貨幣を媒介にして物を交換し、他者と連帯する生き物なのである。

 

どうぶつの森の世界では、「フレンド」たちが、たがいに貨幣を媒介にして素材を交換しあう。それは、「フレンド」がにんげんであることの、もっとも確かなあかしである。一方、住民である「どうぶつ」たちは、貨幣を媒介にして商取引をすることができない。「おねがい」によってほしいものを主張し、相手に与えてもらい、お返しをする。狭い共同体の内部において相互に物々交換をする、互恵的な関係である。
ゆえに、どうぶつの森の「どうぶつ」たちは、人間とおなじ言語でコミュニケーションし、二足歩行をしたとしても、どこまでいっても「どうぶつ」なのである。貨幣を媒介にしない限り、「どうぶつ」の域をこえることができない。

 

それが、どうぶつの森、ポケットキャンプが伝えてくれた真実のメッセージであったのだ。