ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

小室哲哉引退についてひとこと

文春による不倫報道により、小室哲哉が引退してしまったことは記憶に新しい。

「報道が天才を追い詰めた」「彼は引退すべきでなかった」など、リタイアに対して感情的に反応し、否定的な見解を述べた人が多かったようだ。しかしぼくは、少なくとも作曲活動に関してはリタイアすべきだとずいぶん前から思っていたし、おそらく引退は正しい選択だったのであろうと思っている。

 

ワイドショーのコメンテーター気取り芸人 (とくに坂〇忍やヒ〇ミ的な彼ら) が勘違いしてしまいがちな結論なのだが、小室哲哉が引退したのは「過熱した報道に対するあてつけ」ではない。小室哲哉はきわめて現実的に、音楽に対する一切の貢献が不可能である自分の状況を、限りなく客観的に、冷静に判断できていたのだ。

 

もうすでに10年以上前から、小室哲哉の才能が枯渇していたのは明らかだった。当時から「Get Wildの優しさに甘える小室哲哉」というスレが2chに立つほど、彼は過去の遺産を食いつぶす生き方を余儀なくされていた。結局、詐欺行為によって刑事裁判を受けることになるわけだが、少なくとも後期globeにYOSHIKIが加入みたいな頃には「新しい音楽を作り続けていくミュージシャン」という姿を保っていくことはできなくなっていたと見るべきだろう。その頃から、彼のミュージシャンとしての枯渇は―KEIKOの病気とはまったく無関係に―深刻なレベルまで進行していたのだ。

しかしどうやら、冒頭にも書いたように、小室哲哉自身は、自らの才能の枯渇にはすでに気づいていた様子だった。実は10年をはるかに上回る15年前、宇多田ヒカルが登場した時に、すでに自分の役割が終わったことを感じていたとインタビューで語っているのだ。これは衝撃的である。芸術家にとって、ある意味で珍しい、驚くべき態度のように思える。

 

時間軸を追って小室哲哉について論じていくのも面白いのだが、ここでは保留しておく。むしろここで語りたいのは、小室哲哉の「あくまで現実的、リアリスティックで冷静に自分を見つめ直すまなざし」についてだ。

 

小室哲哉と並列して語るべき存在、それはX JAPANYOSHIKIである。彼らは年齢も近く、ともに同じ作曲家、プロデューサー、そしてピアノ・キーボーディストとして活躍し続けてきた。しかし、YOSHIKIの音楽に対する態度は、小室哲哉のものとはまったく違っている。YOSHIKIには冷静に自分を見つめるまなざしの不在―つまりリアリスティックな面が一切ない。彼は最初から首尾一貫して、きわめて文学的な存在なのだ。

 

YOSHIKIは実際、いくつかのフィジカルな疾患を患っている。その代表例が、ライブ中に失神してしまうことと、首にヘルニアを持っていることだ。
実際に失神してしまうことは悲惨である。ヘルニアを患うことも悲惨だ。演奏中に意識を失ってしまったら曲は、舞台は台無しになってしまうし、ヘルニアは痛くてたまらず、生活も困難になるはずである。しかしYOSHIKIの病は、まさにその本来の失神、本来のヘルニアがもつ悲惨さとはかけ離れたもの―まさに意味として、転倒した形で存在している。
実はYOSHIKIは、デビュー当時からヘルニアを患ってはいなかったのだが、しかし頻繁に倒れたり失神したりしていた。ここから明らかなように、彼は芸術家として病になりたがっていた。彼にとって病とは、彼と外界とを分け隔て、彼を特別な存在へと昇華する「ロマンティックな意味」として見出されていたのだ。
YOSHIKIは、事実としての失神やヘルニアとはまったくべつに、病によって神話化された存在になった。YOSHIKIヴィジュアル系の元祖としてまき散らしたのは、そういう不健康で悲惨な現実を神話へと変える「モード」であり、その意味で彼は徹底的に文学的な存在だったのである。

 

ぼくがここで主張したかったのは、「もし小室哲哉の状況に、かわりにYOSHIKIが陥っていたら」という話である。きっとYOSHIKIは詐欺行為の逮捕、KEIKOの病、C型肝炎、看護婦との出会い…そのすべてを「文学的に」とらえ、自己を特別な「ロマンティックな存在」へと昇華させ、神話化する方法を見出していたに違いない。簡単に言えば、自らを物語化し、音楽活動をする上の原動力へと変換できていたはずなのだ。
しかし、小室哲哉はリアリストであった。彼は決して文学的な存在ではなかった。才能の枯渇、KEIKOの病、C型肝炎、看護婦との出会い…はすべて悲惨な現実としてのみ存在し、苦しみながら生きることを選んだ。ゆえに、彼の苦悩はただ苦悩としての意味しか持たず、芸術として昇華することはなかった。

 

ここまで冷静かつ客観的な視座が徹底しているのは、およそミリオンセラーを飛ばしまくったアーティストと思えぬほどである。一般的に芸術はある種の倒錯であり、文学的感性によってロマンティックな楽曲を作るのがアーティストだと、ぼくらは勝手に思っているからだ。しかし逆に考えるべきかもしれない。それゆえ彼は成功し、時代の寵児となりえたのだ、と。