ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

シェイプ・オブ・ヲーターをみました

―以下の内容はネタバレならぬモロバレを含みますので、映画をまだ見てないけど興味のある方はそっとページを閉じてください―


アカデミー賞をはじめとして、各地で賞を総ナメ状態にしている映画「シェイプ・オブ・ヲーター」を見ました。とても面白かったです。
全体的には60年代の「おれたちが最高だったオールドアメリカだぜ!」の雰囲気にどっぷり浸かっているものだったのですが、ぼくはその「オールドアメリカ」を全く知らないので、すこし置いていかれてる感はありました。たぶん、ぼくらの親世代とか、とにかく当時を知る人たち&現地のメリケンたちは懐古厨回路を刺激され、きっと大喜びだったのではないかな。もしかすると、デルトロ監督も当時のことは知らないあるいは覚えていなくて、脳内でつくりあげた「あの頃ヨカッター」を具現化しているだけかもしれない。

 

―この映画のふれこみは、とにかく「純愛」である。メディアをみるたび目撃するのは、人生に一度の大恋愛、究極の愛、究極のファンタジー・ロマンス…とかいう煽り文句たちだ。もともと内容が徹底的にファンタジックであるから異論をはさむべきでないかもしれないが、とりあえずそういうことになっている。


『人間の女性と、アマゾンの秘境で神としてあがめられてきた不思議な生きものである「彼」……。種族を超えた者同士が魂を通わせ、やがてかけがえのない存在として深い愛ときずなを築いていく…』


主人公イライザは、幼少期の傷から、声を出すことができない。一方、彼のほうは人ならぬ半魚人だ。ぼくがこの物語においていちばん切なく思ったことは、こうである。「声の出せない少女」と「半魚人」という超設定、大きく欠落したものと人ならざるものとの間にしか、もはや絶対的な関係―「純愛」は存在しえぬ。いつのまにかこの世界がそういう時代になったということはなんとセツナイ…。


声が出せないというのは、いわば「不可能を背負い込んだ存在」である。半魚人はまさに存在そのものが「不可能な存在」だ。そして、人と半魚人が結ばれることも本来「不可能なこと」。この幾重にも折り重なった「不可能性を可能にすること」こそが絶対的な純愛である、と描かれる。
実は、「不可能性が可能になって絶対純愛」のモチーフそれ自体は、すでに日本の既知のアニメーションの中にあふれかえっている。例を挙げるまでもないが、その中でも「男女入れ替わりのすえタイムリープして現実を塗り替え系」の『君の名は。』は記憶に新しいだろう。


ちなみに、ぼくはこの二人が永遠に結ばれるということは絶対あり得ないと思っていた。それは比喩的に、二人が死ぬことで「死後結ばれる」というモチーフを使う以外ないだろう、と。だからラスト直前までは、悲しいストーリーながらも「うんうん、でもこうなるしかないよなあ…」と、もうひとりの自分がぼくに語りかけ続けた。ストリックランドのあの銃で撃たれたシーンなんかはまさに、ああああ!でも、ああ、やっぱりな…と思ったものだった。
ところが、である。このあと、なんと彼は死んでいなかったのである。そして、半魚人の神通力によってイライザは水中で美しくよみがえるのだ。 (おそらく、このタイミングでエラ呼吸てきなものも会得しているかもしれない) ラスト、二人は永遠に結ばれることが暗示される…まさに不可能な存在の不可能が不可能な神通力によってパァァ…!と可能になった瞬間である。


全米で、全世界でこのラストが高く評価されていることにぼくはのけぞりかえった。なぜなら、この「不可能性が可能になる純愛物語」の想像力こそは、日本のアニメの世界で日々消費されている「陳腐なモチーフ」だからだ。「不可能性の可能化→純愛」に感動し、おおげさに共感するのは日本人だけではなかった。むしろ、アメリカやヨーロッパという先進国において、観客審査員ともども、共通してこの価値観がウケていることにぼくは正直おどろいてしまったのだ。

と、同時に繰り返しになるが、純愛それ自体がすでに不可能なことであり、不可能っていうのがもはや全世界的に共通認識されていて、だからこそファンタジーの中にしか存在しない…という時代に生きてることを強く実感させられてしまった。それは実にセツナイことではないか。

 

しかしフォローするわけではないが、デルトロ監督のアクションシーンはやっぱりよかった。脱出シーンのスパイ映画並みのスピード感とか、緑が全体に散りばめられたギミックとか、絶妙なグロ描写とか、そういうのは「テクニック」として、とても素晴らしかった。
あと、このころって本当にアメリカの敵がソ連だったんだね。いまでは一応ロシアも仮想敵だけど、ロシア弱くなりすぎてアメリカも相手にしてないし、なんというかそのあたりの国際情勢が妙に新鮮に感じたのだった。