ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

nhkの集金が来ました。

nhkの集金の方が我が家に来ました。と言っても、既にnhkは集金業務から撤退しており、残念ながら (?) 下請け会社の社員の方がお見えになりました。

 

基本的にぼくはテレビを持っていないので、受信料を払う法的義務は発生しない。今後はネットに繋がるパソコンを持ってるだけでも徴収される方向に法律が変わる可能性があるのだが、いまのところはテレビがなければ払わないということが認められる。

 

しかし、集金作業員の方はとにかく
「いやいや、払いたくないって気持ちはわかるんすけど…見てますよね?」
ワンセグ見れたりするものを持っていれば、払っていただかなくてはいけません」
「ここ、テレビは見てなくても、設置はあるんですから」
などと言って、お金を徴収しようとする。ちなみに、最後の「設置はある」と言って知識の乏しい人を騙し、契約を交わそうとするのは実に悪質だな…と感じたのだが、集金作業もラクな仕事ではないので黙って見過ごしてあげることにした。


そんなセコイことよりも、ぼくが今回、とても問題だなと思ったのは別のところにある。すなわちテレビに携わる人間たちが、ネット動画時代の訪れに全く適応できていないということである。


ネット動画とは、youtubeに始まりニコニコ動画などの動画配信プラットフォームを指す。こういったプラットフォームにある動画は生放送のものもあるが、基本はアーカイブ化された動画ファイルが中心だ。一部の特殊な会員制動画を除き、基本的には動画ごとに広告を採用しているので、視聴者は無料で動画を見ることができる。

ネット動画はきわめて優秀である。用事があれば途中で止めて出かけられるし、帰ってきたら録画などの面倒な手続きもなく途中から漏れなく見れる。それだけではない。つまらないなと思ったら早送りすれば冗長な部分をすっ飛ばせるし、聞き取れなかった部分や面白かった部分をワンクリックでふたたび再生することができるメディアなのだ。
こういう観点から見ると、テレビはクソメディアである。見たい内容の番組を選べず、現在進行形で放送しているコンテンツから視聴番組を選ぶことしかできない。早送りもできない。CMは長い。用事があったら録画するか、さもなければ一生見ることができない仕様だ。
ぼくは基本的に、こうした利便性から自宅にいる暇なときは延々とネット動画を見ている。同じような生活様式を営んでいる人はけっこうな数いるだろうし、これからも若い人を中心に増えていくのではないかと思っている。もはや、家に一台テレビがあり、暇なときにはテレビをつけて見る…という時代は終わりかけているということに気づかなくてはならない。


たとえばフジテレビは、80年代から「楽しくなければテレビじゃない!」を合言葉に、「笑っていいとも」「とんねるずのみなさんのおかげです」「めちゃめちゃイケてる」などのキラーコンテンツを10年以上にわたり、立て続けにリリースしてきた。この動きは単にコンテンツの質が高かったということもあるが、基本的には日本人の経済事情が好転し、テレビが「高価でみんなで見るもの」から「一家に一台、個室で見るもの」へとシフトしたことに対応するものだ。つまり、テレビは面白い芸人さんを使ったワイワイガヤガヤなバラエティ番組を多数つくることによって、孤独な個人と直接つながるようになり、空前の高視聴率を獲得することが可能だったのだといえる。


しかし、程なくして、孤独な個人は携帯電話によって救済され始める。すぐにインターネットが普及し、状況は一変。「一人に一台、個室にパソコン」時代が到来する。インターネット元年から約20年、前述した「笑っていいとも」「とんねるずのみなさんのおかげです」「めちゃめちゃイケてる」などのテレビ番組はすべて終了しており、伝説として語り継がれるだけの「歴史」に成り果てた。

もはや孤独な個人はテレビを見ない。ネット動画を垂れ流したり、ニコニコ生放送youtubeライブをみたりして余暇を過ごす生活が当たり前になった。結論的に、テレビは孤独な個人との関係を切断され、その役割をあっけなくネットに明け渡したのである。


さて、集金の人の話に戻ろう。nhkは、いいかげん「テレビはネットに役割を明け渡した」ことに向き合わなければならない。つまり、
「受信料払いたくないだけで、実際はテレビ見てますよね?」
が完全に間違った認識なのだ。なぜなら、もうぼくらはテレビを見ていないのだから。正しくは
「テレビは高コストをかけてネット動画よりも良質なコンテンツを制作していますので、どうか契約して買ってくださいお願いします」
である。この態度が営利企業として正しい作法であり、正確な認識であるということをわかっていただく必要があるだろう。