ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

『ヒットの崩壊』 (柴 那典 著, 講談社現代新書) を読みました-2

前回、いまの音楽業界におけるフェス人気やライブの動員熱が過熱状態にあり、早晩そのような熱に浮かれた状態は今後沈静化していくだろうことを述べた。それはまさしく、今のアメリカや日本の景気もしくは株価の状況のようである。いくら盛り上がってて楽しい!ライブ最高!と言われたって一般人には「どこが?」というくらい、別世界で起こっているような出来事でもあり、過熱しすぎた投機的ギャンブルの行く末を覗いているような気分でもある。

 

『ヒットの崩壊』 (柴 那典 著) の本のおわりに、著者はこんなことを言っているので引用する。

 

↓↓↓引用ここから↓↓↓

今の日本の音楽シーンは、とても面白い。…アーティストたちは百花繚乱の活躍を見せているし、ビジネスとしてもようやく低迷期を脱しようとしている。…おそらく、この先は、さらに巨大な規模で地球全体を覆いつくすグローバルなポップカルチャーと、ローカルな多様性を持って各地に根付き国境を越えて手を結び合うアートやサブカルチャーとの、新たなせめぎ合いが生まれる時代がやってくる予感がしている。

↑↑↑引用ここまで↑↑↑

 

どうだろうか?このブログをご覧の聡明な読者の皆さんは、あまりに楽天的だ、と思ったに違いない。つまり、彼の言う未来がまだ来ていないことを知っているし、そしておそらくこれから先、そんな未来が永遠に来ないことも知っている。

 

ぼくがもっと若いころ、10年後の音楽はもっともっと発展していて、ぼくは自分の好きな、才能あるアーティストたちの作った音楽に包まれて暮らしている未来を夢見ていた。だが、現実にそんな幸せな未来は少しも訪れはしなかった。
地球全体を覆いつくすグローバルなポップカルチャーは地道に活動するローカルアーティストと手を取り合うことはなく、資本の論理のみが支配する世界をもたらした。ローカルアーティストたちは音楽を毟り取られ、「奇抜なことやれば、おれもワンチャンあるかも」という不毛なせめぎ合いを生む。
だから才能ある天才は早い段階でつぶされるか、良貨が悪貨に駆逐されるように偽者によって排除される。その代わりに、セカオワのフカセやゲスの川谷のような「投機熱の波に乗った究極のお調子者」たちがヒットチャートを賑わせる。

 

ぼくも予言めいたことを言わせてもらうなら、ぼくたちはこれから先10年20年…もずっと、1990年代に作られたポップソングを「あの頃の音楽は本当に輝いてた!」と言いながら、遺産を食いつぶしていくに違いない。ぼくたちは、あの頃夢みた「ありえたかもしれない、もうひとつの可能性」のことを想いながら、ずっとこの先も音楽シーンに絶望し続けて生きていくのだろう。これはほとんど確定している。
ぼくたちが失った未来…「大好きな音楽たちに包まれて生きる世界」を取り戻すためには、むしろそのようなグローバルなポップカルチャーがもたらす資本の原理にこそ徹底的に抵抗し、新しい連帯の形を作り上げていかなければならないのである。

 

結論的に言えば、今の音楽界はまったく面白くないし、楽しい未来も来ない。グローバルなポップカルチャーは資本の論理によって音楽文化を根こそぎ破壊しつくす。ぼくたちは永遠に過ぎ去った90年代を愛し続けながら、あの頃考えた「可能性の未来」を夢想して生きていく。

ぼくはそんな世界が嫌だから、抵抗しつづけたい。そんな思いをこめて、「新しい連帯の形」というイベントタイトルをつけた。
そのことを言うのを忘れていたから、1ヶ月後にこのブログで書くことになったことを許して欲しい。