ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

ドラゴンクエスト、その後

前回ドラゴンクエストⅤの映画版に関する投稿をして以来、実はDS版のドラクエ5を購入しており、現在はふたたびクリアを目指して鋭意プレイ中である。以前はざっくりと広い概念である「天空の勇者」について考察していたが、今回ドラクエ5をあらためてプレイしたところ、もっと個別具体的な、より個人的な感想が湧いてきたので、それを短く記す。
思っていた通り、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』では嫁選びイベントに1/3程度の時間を費やしていたのだが、実際にゲームをプレイしてみると、嫁選びイベントはわずか一瞬の出来事で終了する。どちらかというと、少年時代におけるビアンカとのレヌール城攻略のほうがイベントとして長尺である。きっと堀井氏も「まさか後世においてこんなに議論になるなんて思わなかった…」と思っていることだろう。


一方、映画では手短にしか触れられていなかった主人公の属性「まものつかい」のほうが、ゲーム内でははるかに重要な位置を占める。主人公は、ダンジョンの攻略やボスの制圧において、かならず仲間モンスターを連れていかなければならないような難易度に設定してある。モンスターを仲間にせずともクリアはできるだろうが、ゲームバランスが崩壊してしまう。


仲間モンスターの素晴らしい点については枚挙に暇がないが、特に優れているのは「めいそう」「はげしいほのお」「いてつくはどう」といった「特技」である。通常、人間プレーヤーでは、例えばベギラゴンを使うとその代償としてMP(マジックポイント)を消費する。ボス戦のみの使用ならばそれでもかまわないが、長いダンジョンを攻略する際にはそのMP切れのリスクと常に格闘しながら、やりくりしていかなければならない。
しかし一方、モンスターであれば同程度の「はげしいほのお」をMP消費なしに、つまり何の代償も必要とせず無制限に繰り出すことが可能だ。「めいそう」は同様に、無制限に自己の体力を全回復することができる。これは恐るべきことであり、同時に、ある種のバランスブレイカーのような存在でもある。これは次のように言い換えることもできるだろう。邪悪な魔物を自らの仲間に引き入れるとは、つまり代償なしの高威力高破壊魔法を無制限に使用できることにより、ゲームバランスを一時的に揺るがすことに他ならない、と。


RPGは基本的にHP、MPと、それを代償にした相手へのダメージ量をパラメーターとしており、『ドラクエ5』のように「まものつかい」になることによってそのバランスを揺さぶるような発想は、それまでのRPGではあまりなかったはずである。他方、ぼくらは「モンスターを仲間とし、それを手札(カード)として攻略していく」というコンセプトのゲームを既に知っている。『ポケットモンスター』である。むしろ、「まものつかい」が強力なモンスターを仲間とすることでバランスをとっていくゲームとしては、圧倒的に『ポケモン』のほうが有名であって、『ドラクエ5』がモンスターを仲間にする要素を持っていることは忘れられがちだ。
しかし、両者の間にはリリースした時系列に微妙な差がある。実は『ドラクエ5』のリリースが1992年なのに対し、『ポケモン』のゲームボーイ版がリリースされたのは1996年のことであった。重要なことは、のちに『ポケモン』を生み出す想像力の源泉が、すでにこの『ドラクエ5』の中に眠っていたということである。そういえばスライムもホイミスライムも見た目はかわいい。序盤は弱っちょろいが、進化しなくてもレベルを上げれば高度なとくぎを習得してくれるので、育てればその後のボス戦をクリアするのに有利になったりする。のちにピカチュウイーブイという形で具現化する、この想像力は、既に『ドラクエ5』が恐るべきクオリティで実現していたことになる。


これは次のように言い換え可能でもある。ぼくらはRPGをクリアするとき、絶対的な武力で敵を制圧する「総力戦」の図式で考えがちであった。だが、実際には『ドラクエ5』の「まものつかい」では、戦うボスの弱点に合わせて味方のモンスターを効果的に入れ替えながら戦う図式に変わっている。前者を『ドラゴンボール』的世界観と例えた場合、後者はのちに『ジョジョの奇妙な冒険』におけるスタンド戦闘や、もっと露骨に言えば『遊戯王』が実現する「カードゲーム」の考え方そのものである。
相手の強い手札に真っ向勝負を仕掛けるのではなく、相手の技のくせや特性、そして弱点などを鑑みながら、そこを効果的に突いていける手札をこちらも差し出す。『ドラクエ5』のモンスターバトルには、のちに様々な形で華開く「カードゲーム的」世界観の萌芽がすでにうまれていたのである。