ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

映画『Bill Evans Time Remembered』を見てきた感想

一か月ほど前になるが、『ビルエバンス・タイムリメンバード』という映画を見た。

http://evans.movie.onlyhearts.co.jp/

上映されたのはミニシネマのような、小さな映画館でのみの限定公開ではあったが、おそらく、ぼくだけでなく日本にいるビルエバンスファンの方々は全員見に行ったのではないかと推測される。


ビルエバンスは、わが国日本では異例の人気を誇っている。日本で最も人気の高いジャズピアニストと言っても過言ではないだろう。その人気ぶりを象徴するように、彼のCDはきちんとレコーディングした、いわゆる「スタジオ版」以外もかなり流通している。様々な場所で録音されたライブの音源がそのまま、CD化され受容されているし、そういったものを含めて、日本国内で手に入らないビルエバンスのCDはほとんどない。
ところが他方、実は本国アメリカにおいてビルエバンスがさほど人気でなかったという事実にも触れておかねばなるまい。アメリカでは、マイルスデイビスの『カインド・オブ・ブルー』以降、一時的にビルエバンスのライブに観客が殺到する「カインド・オブ・ブルー特需」があったが(スコットラファロ在籍時の「黄金期」である)、マイルスデイビスの専属ピアニストがハービーハンコックになって以降は風向きが変わり、後期ビルエバンスはそれほど受け入れられていない。
しかしビルエバンスの演奏や楽曲は、ヨーロッパにおいてきわめて熱狂的に受け入れられた。実際、いまわれわれがYouTubeなどで閲覧できるビルエバンスのライブ動画のうちいくつかが、実はヨーロッパのツアーやテレビ番組の収録であったという事実が、そのヨーロッパでの人気を如実に物語っているだろう。その理由は、彼がブルース由来の熱さや力強さ、また速いパッセージのテクニックよりも、むしろ緻密なハーモニーと美しいメロディを重視したことによる。この現象は「黒人のジャズが白人化した」と俗に言われているが、ようするにそれはビルエバンスが「西洋クラシック音楽の伝統を重んじた、新しいジャズ音楽を創り上げたピアニスト」だったということに尽きる。
一方、わが国日本は音楽の後進国であるので、ビルエバンスの受容にはもう少し時間がかかっている。ヤマハなどのピアノメーカーが主導した「一億総クラシック計画」的なプロジェクトにより、大規模なクラシックピアニストの育成に成功した日本。そうした背景のもとでは、やはりヨーロッパの場合と同じく、ビルエバンスは人気である。


さて、ぼくがここで考えたいのは、ビルエバンスが同時代のアメリカでさほどウケなかったにもかかわらず、場所(ヨーロッパ)と時間(日本)をこえて人々に受け入れられた、その意味である。


おそらく、当時のアメリカには同時代の人々に受け入れられようと、懸命に「合わせに行った」ピアニストたちや、ミュージシャンたちがたくさんいたことだろう。そして、彼らは一時的に、ビルエバンスをはるかに凌駕する人気と売り上げを得たはずである。しかし、2019年のぼくらは彼らのことを一切知らない。時代の空気を読んで、積極的に当てにいった輩は、結局のところ歴史に名を残すことができないのである。


この事実は、ぼくたちに少し考え方の変更を迫るものだ。2019年のいま、ぼくたちはピコ太郎さんの『PPAP』のことや、前前前世のことを少しも覚えていない。ゲスの極み乙女の川谷えのんさんがベッキーと付き合っててライブで深々と頭を下げたことも、セカオワのメンバーがひとつ屋根の下「セカオワハウス」に住んでたことも忘れている。そのかわり、いまの世界は米津玄師に夢中である。しかし、ぼくらはこの先いつまで、米津玄師のことを覚えていられるだろうか。少なくとも、ぼくにはその自信がない。


映画『ビルエバンス・タイムリメンバード』を見たぼくは、それまでビルエバンスのピアノを何百回も聴いてきたにもかかわらず、また新しい発見をいろいろと得ることができた。いささか感傷的な表現になるが、彼のピアノをあらためて聴くと、まるで時間と空間を超えて、未来のぼくに向かって語りかけていたような気がしたのだった。
ビルエバンスは、積極的に同時代の空気に合わせにいかず、ひたすら音楽の伝統の上に立脚しながら、新しい音楽の可能性を探り続けていた。その結果、事後的にではあるが、彼のピアノは時間と場所を超え、未来に向けて奏でることとなったのだ。


昨今ほど、リアルタイムメディアが発展した社会もない。よく言われることだが、ピアニストとしていま最も有名になる方法は、都庁にあるグランドピアノで米津玄師の曲を演奏し、YouTubeにアップすることである。現に、ネット上の動画にはそういったものがすでに溢れ、飽和状態になっている。だが、彼らのピアノは、10年後、20年後の他者に語り掛けることができるのだろうか?
映画を見たぼくは、そうしたリアルタイムの音楽から遠く離れ、未来に向かってピアノを弾きたいと思った。かつて、ビルエバンスがそうしたように。

当時の熱狂を覚えてるぼくが、ネガティブなことをひたすら書きます

椎名林檎が40歳を迎え、新しいアルバム『三毒史』をリリースした。そのプロモーションの一環で、いま音楽メディアは椎名林檎一色の盛り上がりを見せている。ウェブや雑誌など媒体問わず取り上げられており、インタビューも受けているし、また、非常に驚くべきことだが、youtubeでお笑い芸人を相手にアルバムの解説や、自身のことについてのプライベートな質問などにも答えている。


当のアルバム『三毒史』については、率直に申し上げて「椎名林檎以外の『外野』が、巨額の資金と労力を投入して作り上げた作品」と言うほかないだろう。各曲のレコーディング環境やアレンジ、演奏力やミックス…どれも非の打ち所がないくらい、いい音質に仕上がっている。椎名林檎があまりチャレンジしてこなかった英詞での導入部分などは、わざわざそうしたイメージにマッチするよう、綿密な編曲がなされており、現在の日本のサウンドエンジニアたちが優秀であることを実感する次第だった。


しかし、椎名林檎自身は、この中でなにかしているのだろうか、と思った。確かにコブシのきいた歌謡調のボーカルで攻撃的に歌い上げるメロディは健在だったが、残念ながらデビューアルバム『幸福論』や東京事変の『教育』で見せつけられたあのインパクトには遠く及ばない。むしろ、そのインパクトの不在こそが、前述のとおり華麗なアレンジや高い演奏力など、「頑張っている外野」につい耳を運ばせてしまう。
それにもまして、このアルバムを特徴づけるのは、ゲストボーカルの異様な多さである。13曲中6曲にトータス松本宮本浩次などの有名どころが名を連ね、それが一曲おきに配置されている。これほどのフューチャリングは「おまえJAY-Zエミネムか」と言いたくなるぐらい、ヒップホップアーティスト並みのコラボ感である。ここもまた、ギャランティという巨額の資金投入とともに、ゲストたちの素晴らしい「外野の頑張り」が見いだされる部分である。
ともあれ、往年の椎名林檎ファンにとっては、あの椎名林檎が多彩な男性ゲストたちとコラボすることがまさに夢のようだし、ましてやyoutubeで個人的なことをしゃべったり視聴者に向けて語り掛けてくれる、なんていうのは考えられないことで、気が狂うくらいうれしいはずである。だからぼくは、このアルバムに関する評価は保留するし、緻密に消費者の需要に応えた作品として評価を与えるべきなのだと思う。


だがしかし、ぼくが危惧を覚えずにいられないのは、日本の音楽界がまだ「椎名林檎」という神輿を必要としているという事実そのものにある。『幸福論』のデビューから20年、そして東京事変の『教育』リリースから10年以上が経過した2019年の現代において、ぼくたちは椎名林檎に代わる新しいカリスマを探せずにいるばかりか、積極的にその神輿を担ごうとする者たちに溢れている。


椎名林檎はまぎれもなく、カリスマだった。カリスマは消費者に決して媚を売らず、テレビのインタビューにもめったに答えなかった。激しい楽曲にもかかわらず、敢えて淡泊で一切動かないライブパフォーマンスをしていたのはファンならば常識であった。だから繰り返し言えば、彼女は媒体問わずインタビューも受けて、youtubeで和やかにお笑い芸人と話すようなアーティストではなかったのだ。


むしろ、こう言ってもよいかもしれない。椎名林檎は既存の女性ボーカルの価値観を破壊し、東京事変はバンドのあり方を根底から覆した。その意味でカリスマであり、革命者であった。しかし今の彼女は、既存の音楽界で安定して一定の地位を築いたエスタブリッシュメントトータス松本などの「ビッグネーム」)とともに戯れ、既存のシステムの中で効率的に利益を獲得するアーティストになってしまった。椎名林檎は、東京事変で「無名だが実力のあるスタジオミュージシャン達」をバンドメンバーに加え、前面にプッシュしてきた人まさにその人である。もし仮に10、20年前だったら、彼女はゲストボーカルに「無名だが、音楽界の常識をひっくり返すような新人」を起用していたに違いない。


『幸福論』から東京事変を経て、ふたたびソロアーティストになった椎名林檎は、いま担がれる神輿となって、保守的な消費者たちにいいようにカモにされている。にもかかわらず、音楽界はいま彼女を最も必要としていて、関係者はその神輿を下すことができない。当時の熱狂を覚えているぼくとしては、端的に、この事実がとても悲しい。

ラブひなた荘

ラブひな』というマガジンに連載していた漫画のタイトルを聞いて、嫌な顔をする人は多いだろう。それもそのはずで、この漫画は一話につき女の子のパンツや裸やその類が必ず複数個挿入されている、れっきとした「パンチラマンガ」であるからだ。しかしながら、残念なことにぼくはこの週末を利用して『ラブひな』全14巻を読破してしまった。そして意外にも面白い気づきがあったので、少し紹介しようと思う。


ラブひな』は主人公である浦島景太郎が、幼い頃に「約束の女の子」と「一緒に東大行こう!」と約束したことから始まる。彼はその思い出を守るため東京大学を受験しようと試みるが、ことごとく失敗している。2浪ののち家を追い出された景太郎は、祖母が経営するはずの温泉旅館を頼るのだが、そこは女子寮「ひなた荘」であった。この物語は、浦島景太郎が唐突に「ひなた荘」の管理人となり、東大を目指して勉強することを口実に、住人の女の子たちと「ラッキー・スケベ(ラキスケというらしい)」に満ちた酒池肉林の日々を過ごすストーリーなのである。


ラブひな』は女の子がきわめてたくさん登場するというギャルゲー要素が強いため、メインヒロインを特定しづらいのだが、ヒロインは明確に二人存在する。「成瀬川なる」と「乙姫むつみ」である。
成瀬川なるは景太郎と同じく東大を目指しており、全国模試でもトップクラスの成績だったが受験に落ちてしまう。高校時代の家庭教師、瀬田に恋をしており、それが東大を目指すきっかけであった。また、幼いころは病弱でもあって、記憶をほとんどなくしている。
一方の乙姫むつみは超天然のマイペース野郎で、なると同じくほとんどの記憶を失っていたが、抜け目なく景太郎が初恋の相手であったことを思い出しており、「約束の女の子」のことを唯一記憶する存在となっている。彼女もまた、二人と同じく東大を目指している。


この「浦島太郎」「乙姫」というネーミングからもわかる通り、明らかに「ひなた荘」とは景太郎にとって現実から隔離された「竜宮城」である。ゆえに、ここには一種の倒錯がある。一般人にとってまさに「夢のような話」である東大合格も、景太郎にとってのは夢のようでいて、実は全くそうではない。読者は竜宮城「ひなた荘」でくりかえし「ラキスケ」な遊戯に耽っている、その景太郎の生活こそが「いつまでもこんなふうにドタバタしていたい夢」に感じるのだし、東大こそがまさに「いずれ訪れる、向き合いたくない現実」だと感じるのだ。
ラブひな』の世界に外部は存在しない。たまに予備校や東大が描かれるが、特に東大はまるで仏像のようにその姿を現すだけで、実際にそこを舞台に物語は展開しない。予備校の同級生も二人ほどいるが、影は薄く基本的には非モテモブの域を出ない。だからこの作品は、外部のない「ひなた荘」の中でひたすら女の子たちと永遠に戯れるお話である。この構図はまさしく、「友引町」という街の中のみでドタバタし続ける『うる星やつら』を考えてもらうと分かりやすい。『うる星やつら』には決して外部は存在せず、いつまでも続く珍道中を、学校を中心とした狭い登場人物たちの中だけで繰り広げていた。『ラブひな』はそうした「外部を必要としない島宇宙ユートピア」の、男目線ハーレム版と解釈できるだろう。


と、ここまではwikipediaで『ラブひな』と検索すれば誰でもアクセスできそうなことばかり書いてきた。だから、誰にでも思いつきそうなことしか言っていないはずである。しかし、ぼくが考えるに、この作品が真に面白い展開を見せるのは8巻以降と言える。実はこれまで説明してきたことは『ラブひな』の単行本7巻までの設定なのであり、そこまではありきたりでたいして面白くないのだが、8巻以降にこの作品のオリジナリティが発揮されているのだ。どういうことか。実は8巻以降、景太郎は成瀬川なるや乙姫むつみとともに、東大に合格してしまうのである。


先ほどぼくは、景太郎にとって東大こそが夢ではなく、むしろ戻りたくない現実であると述べた。これは隠喩として言ったのではなく、ほとんど文字通り、東大合格をきっかけにして景太郎が現実世界(ひなた荘の外部)へと引き戻されてしまったことを意味する。事実、景太郎は一度も大学に通うことが描写されないし、そして瀬田さんの手伝いをするためアメリカ留学をするので、ほんとうに作品から消え失せてしまう。つまり、8巻以降の『ラブひな』は、浦島太郎を失った竜宮城の住人たちが、もう一度浦島太郎を取り戻す作品に変貌するのである。


8巻以降の主人公は、誰が見ても明らかなとおり、成瀬川なるである。ゆえに物語は、景太郎という「ラキスケを目撃する第三者の眼」の不在のまま、成瀬川なるを中心とした女の子たちのエロいシーンが立て続けに起こるきわめて珍しい事態へと突入していく。


さて、ここで重要な問いを立ててみよう。浦島景太郎が浦島太郎だとしたら、そして、乙姫むつみが乙姫なのだとしたら、いったい成瀬川なるとは何者なのか?
実は、何者でもない。それは先ほども例に挙げたwikipediaで「成瀬川なる」と検索すれば、設定が非常に薄いことがわかるだろう。成瀬川なるは単にそこにいた、竜宮城のひとりの住人に過ぎなかったのだ。

7巻には印象的なシーンがある。景太郎は左手にむつみの手、右手になるの手を握り、階段を上る。登り切ったところで、「どちらかひとり、好きな娘を選んで。選んだ娘の手は握ったままで、選ばなかったほうの娘の手を放して」と要求される。しかし、景太郎はどちらの手も放すことができなかったのだ。景太郎は一人の女の子としてなるのことが好きだから、手を離すことができない。しかし一方、なるは何者でもないゆえに、「約束の女の子」である乙姫の手も離すことができない。このシーンは、景太郎の優柔不断性を強く表しつつも、実はヒロイン成瀬川なるの設定―好きな男の子に選んでもらうための根拠の不在を鋭く突いているシーンでもあったのだ。


8巻以降の主人公となった成瀬川なるは、人が変わったように強くなる。東大に落ちたと勘違いして家出してしまった景太郎にカツを入れにいくし、景太郎の妹とも互角に渡り合う。最終的には景太郎の容姿や言動が、昔のあこがれの人だった「瀬田化」するというオイシイ展開にも恵まれる。成瀬川なるは、それゆえカッコよくなったかつての主人公と結ばれ、幸せをつかみ取る。そうして『ラブひな』全14巻は完結するのだった。
そう、8巻以降の『ラブひな』は、決して何者でもなく、何者にもなれなかった成瀬川なるが、何者かに「成る」ストーリーだったのだと言える。成瀬川なるは浦島景太郎を取り戻そうと必死でもがいた。それは好きな人を取り戻すための旅のようでいて、設定の薄かった自分自身をもう一度取り戻す旅に他ならなかったのだ。


そういう点で、『ラブひな』は非常に面白い作品だった。実は他にも「浦島景太郎の去勢」というテーマについて語りたかったが、それは紙面の関係上また今度どこかで書くとしよう。

エンジェルズ・クライ

ANGRAの元ボーカル、アンドレ・マトスの訃報を聞いた。まだ若かったと思うので相当驚いている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190610-00000088-bark-musi


ANGRAはブラジルのメタルバンドで、1994年にデビューしている。当時、日本のヘヴィメタルはかなり元気がなくなっていた頃だったが、それはチェーンとかよくわからない金属をジャラジャラつけて徘徊する「ファッションメタル」が衰退したという話である。そのような頭の悪い連中が去った頃の90年代、意外にもヘヴィメタルは高学歴層や都会の若者など、インテリ層を中心にウケていた。彼らはメタルをより音楽的に解釈しており、メタルが秘める音楽としての可能性を素朴に信じていた。むろん、今よりは遥かに熱心なファンが多かった時代である。
日本ではエックスジャパンが大成功したこともあり、彼らの哀愁のある(そして速い)メタルサウンドは両手を挙げて歓迎された。エックスとはだいぶサウンドの感触が違うものの、目指している方向はそれなりに似ていた。速い、激しい、そして哀愁、の3拍子揃ったメタルを業界では「メロスピ(メロディック・スピードメタル)」というらしいが、とにかく、エックスもANGRAもその「メロスピ」だった。だから日本では受容された。
ANGRAはエックスに比べると圧倒的にテクニカルであった。例えばエックスのhideのギターソロは、実はギターはじめて1年くらいの若造でもコピーしようと思えばできるが、ANGRAキコ・ルーレイロのギターソロはその程度の練習量では絶対に弾けない。大人になっても弾けない人がほとんど、というくらい難しかった。そして、何よりボーカルである。エックスのトシは声が細く、初期はダミ声で汚い。後期も声が出なくなったりして心配になる有様だった。それに比べると、ANGRAアンドレ・マトスの歌はトシが歌っている音域よりもはるかに高いうえ、非常に安定していた。だから、ANGRAはエックスよりもディープでありつつ、テクニック的にはエックスをはるかに凌駕するマニア受けバンド、という位置づけだったのだ。
当時高校生だったぼくも、エックスジャパンに感染したあと、例にもれずANGRAにハマった。三作目『Fireworks』のリリース時に日本ツアーが組まれ、名古屋のライブハウスに見に行ったこともある。しかし、アンドレ・マトスはこのアルバムをきっかけにANGRAを脱退してしまった。理由はよくわからなかったが、「自分のほんとうにやりたいバンドがしたい」みたいなことだったと記憶している。その後、アンドレ・マトスはシャーマンというバンドを結成した。他方、ANGRAにはエドゥ・ファラスキという、アンドレ・マトスよりも超人的なS級妖怪ボーカルが入り、バンドとしての絶頂期を迎えた。
ANGRAが絶頂期を迎えた頃、ぼくは大学生だったが、『Rebirth』『Temple of Shadows』も聴いた。それらはたしかに素晴らしいアルバムだったが、何かが決定的に違っていた。その違和感とともに、ぼくはその成功を一歩引いた場所から、複雑な心境で眺めていた。絶頂期には初期ANGRAを上回るパワーとテクニックが詰まっているものの、しかしアンドレ・マトスが与えていた「哀愁」が欠落していたのだ。気づけばいつしか、「速い、激しい、哀愁」が「テクい、速い、激しい」の3拍子にすり替わっていたのだった。


アンドレ・マトスの新しいバンド「シャーマン」は全然聞いていなかったが、ANGRAもその後は下降線をたどり、結局どちらもあまり聴かなくなってしまった。この傾向はぼくだけでなく、実際、時代の流れと共鳴していた。2000年代中盤だったが、日本のバンドマンはこの頃から急激に、驚くくらい「テクいこと」をしなくなったし、「哀愁」も嘲笑するようになった。時代の空気が、そうした音楽を「ダサい」とあざ笑うようになったのだ。
それから10年ほど経つが、ぼくはやはり日本の音楽が選んだ道は良くなかったと切に感じている。自分の技術のなさや作曲能力のなさを、「それって音楽に必要?ダサいしいらなくね?」と言って誤魔化し、それよりも簡単にできることばかりやって浮かれてただけなんだと思う。ぼくは今、日本の音楽が苦境に陥っているさまを見て、アンドレ・マトスのやりたかったことも、キコ・ルーレイロのやろうとしていることも、それなりに理解できるようになった。つまり、音楽にとって「テク」と「哀愁」は絶対に切り捨ててはいけないものだったし、そのふたつからダサいを言い訳にして逃げてはいけなかったのだ。少なくとも彼らは、そのことに真剣に向き合っていた。


ぼくは高校生の頃、ANGRAのデビューシングル『Angel's Cry』の名前を借りて、エンジェルズクライというオリジナルのヘヴィメタルバンドを組んでいたことがある。それくらい愛していたバンドだった。アンドレ・マトスの訃報を聞くのはとても辛いことだが、まだ彼のスピリットは自分の中に生きているし、大切にしていかなければならないと感じている。あらためて、ご冥福をお祈りする。

Rolling Stone誌で思ったことの続き

前回、ぼくはローリングストーン誌の記事に絡めてエレキギター存続の危機について語ってきた。80年代から今に至るまでずっとサウンドの中核に位置してきたエレキギターが、アメリカではついにその役割を終えているのではないかという歴史的局面に相対しており、それは我が国のポップスの文脈からみても大変に興味深い事例であることを示してきた。


繰り返しになるかもしれないが、ぼくはこの「エレキギター絶滅危惧種」現象をギターだけの問題でとらえるのには反対だった。なぜなら、その奥には「既に絶滅してしまった」たくさんの楽器たちの屍があるからである。最初にリズムマシンによってドラムは置き換わり、シンセベースという形でベースも消えた。ピアノ、キーボードは複数の音と音色を同時に鳴らすMIDIのシステムの発展によってその地位を奪われたし、しかも現在はシーケンサーソフトの登場によって、音色を格納する音源やシンセサイザー本体の存在すら必要なくなっている。


このような状況の中、エレキギターすらも容易に電子音に取って代わられるのではないかと思われたが、実際にはむしろ逆にはたらき、日本では20年ほど、主役の座に居座り続けることができた。注目すべきは、エレキギターがその地位を受け渡すよりも先に、興味深いことに「ボーカル」が不必要とされるようなテクノロジーの発展があったことだ。『初音ミク』、ボーカロイドの登場である。

「ボーカル」の不必要化は主にニコニコ動画などの動画配信プラットフォームなどにおいて、「P」と呼ばれるような特殊な文化を生み出す。「P」とはもともとプロデューサーの意味で、ボーカロイドたる初音ミクをプロデュースして歌わせる人「ボカロP」というところから来ている。これは結局のところ、「たったひとりで孤独に作曲をした曲を、不特定多数の人たちの中で共有しあう文化」である。その後、現在進行形の日本で起こっていることは、そのような「孤独に曲を作ってきた人たち」がシンガーソングライターとして日本の音楽市場を席捲しているという事態である。


本当に周知の事実だと思うのでこれ以上の説明は加えないが、いま日本で最も売れているアーティストは「米津玄師」である。彼はソロアーティストだが従来型のシンガーソングライターではない。主にニコニコ動画などの動画配信プラットフォームなどにおいて曲をアップし続けてきた、元「P」だ。そのような活動をしているアーティストは、他にも「イヴ」などがいる。とにかく2019年現在、いまこの日本は「優秀な"個"が孤独に楽曲を作り、そのクオリティの高さを不特定多数が称賛する」という世界になりつつあることを念頭に置いていてほしい。


ぼくの考えでは、このような世界の在り方と「エレキギター絶滅危惧種」現象は偶然に重なったことではなく、同じことを背景にして起きている。つまり、エレキギターが楽曲から消え去ろうとしていることは、単にひとつの楽器の登場頻度が減ったというシンプルな問題ではない。むしろこれは、人間が「集団で音楽を創造することをやめたこと」を意味し、ぼくの問題意識に引き付けて言えば、「バンドという形態」に対する存続危機の問題なのだ。


いや、ちょっとまてそれはおかしい、「米津玄師」も「イヴ」もめちゃくちゃギター使ってるじゃないか、と反論する人がいるだろう。しかし、これは共同作業を必要としなくなった音楽が、「日本では過度なギターの使用」、「アメリカではギターの不要」というふたつの極端なアウトプットで現れてきているに過ぎないのだ。全世界的に、人々は「共同作業の成果」としての音楽を一切求めなくなった。それは急激に起きたことではなく、テクノロジーの進化に比例して徐々に起こってきた。それが臨界点を超えた結果、アメリカではついにエレキギターがそもそも不要となったし、逆に日本では、過度にエレキギターを必要とするケースが現れた。

バンド不要論についての反論をあらかじめ予測しておくと、前時代的なカッコ良さに注力した「ファッションとしてのバンド」というのは、ビジネスという意味でこれからも永遠に残り続けるだろう。それはぼくもまったく否定しない。しかし、「共同作業という意味においてのバンド」の存続危機の問題は、現在進行形で深刻化している。そしてエレキギターの消失、「米津玄師」の空前の大ヒットは、ぼくたちがその流れに抵抗するすべを持たなそうであることを端的に示している。

Rolling Stone誌の記事はやっぱり面白い

相変わらず、ローリングストーン誌の翻訳記事は、日本のライターの書く凡百の音楽記事よりも最高に面白い。
『絶滅寸前の危機、ギターソロはもはや過去の遺物なのか?』
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30710

 

本記事の中では、アメリカではポップスやR&Bにおいて、もはや「ギターが使用されているものは稀だ」と書かれているし、むしろロックバンドにおいてすらも、「ギターよりも弾力性に富んだビートやプログラミングを多用し、ギターソロらしきものは全くと言っていいほど耳にしない」状態になっているそうだ。他にも刺激的な表現を用いて読者を笑わせてくれる箇所があるので、その辺りはぜひ原文にアクセスしていただきたい。
たしかに、国内でも大ヒットしたレディ・ガガの『Poker Face』を聞いた際、10年前ぼくが感じたのも全く同じ感想だった。それは、「ポップソングがこれからこの方向で発展するならば、どうやらエレキギターは必要なくなりそうだな」というものである。


ぼくのこの感想をもう少し補強しておこう。最初に必要なくなったのはギターではない。実際には80年代のアメリカがポップミュージックを生み出し、それが日本に輸入される過程で「ドラム」「ベース」「ピアノ」が順番にその役割を終え、必要とされなくなった。例えば、宇多田ヒカルの『Automatic』のバックに流れているのは、ドラムらしき感触だけを残した、ただの「プログラミングされた電子音」である。このように代替可能な電子音で生楽器を置き換えていくことをぼくたちは「打ち込み」「カラオケ」などと呼んでいるが、「打ち込み」によって真っ先に雇用を奪われたのはドラマーだったのだ。


しかし、そのように生演奏する楽器がその役割を次々に終えていく中で、なぜかエレキギターだけは残り続けた。それは日本を代表する電子音楽の巨匠、小室哲哉の楽曲を聞けば明らかである。彼がglobeで作曲したデビュー曲『Feel like dance』では、近未来的なサウンドを志向して電子ピアノ、シンセサイザーによるプログラミングで伴奏を構成している。しかし5枚目のシングル『Freedom』以降、小室哲哉は近未来サウンドに対し早々に限界を感じたらしく、あっさりとエレキギターを濫用している。そのギターは実際サウンドの要と言ってもいいぐらいで、彼の代名詞シンセサイザーは、サウンドを彩るいわば「ふりかけ」のような存在に成り下がってしまう。同様に、浅倉大介西川貴教による「T.M.Revolution」でもエレキギターは重要な存在だ。パワフルな歌唱力をウリにする西川貴教に「ハードなイメージ」をマッチさせるために用いられたのは、やはりシンセサイザーでなくエレキギターだった。また、エレキギターが伴奏の中心になっただけでなく、彼らは小室哲哉があまり好んで用いなかった「間奏、休憩時間としてのギターソロ」をかなり積極的に採用している。


エレキギターが必要とされ続けたのにはいくつか理由がある。そのうち主要なものをあえて選ぶなら、1.伴奏に最適な中音域の重厚さを持っているから、2.代替電子音でそのニュアンスを再現できなかったから、3.最もアクセスしやすいインターフェースだから、の3点に尽きる。このことを長々と説明するともういろいろと終ってしまうので、ここでは一旦省略させていただく。


ともかく、このように幾度となく訪れた「電子音による代替、失業」の危機を乗り越えてきたエレキギターは、いま祖国アメリカにおいて絶滅寸前の危機に瀕している。この文脈で考えるならば事態は一層深刻で、なおのこと興味深いものだ。

『読まれなかった手紙について』について

友達のバンド「CokeColor,DearSummer」の曲に、『読まれなかった手紙について』という曲がある。ぼくはこの曲がとても好きなので、その好きな理由について書いてみようと思う。ちなみに、mvもちゃんと作っていて、彼らの曲は以下のURLから視聴が可能だ。親切設計すぎて助かる。
https://www.youtube.com/watch?v=uSB772rXyJ

 

ところで、『読まれなかった手紙について』は最近あまり聴けていない。前回下北沢のモナレコードのライブでもやられなかった曲だ。そのやらなかった曲のことをあえて書くというのはいかがなものか…という感じもするのだが、それは友達ということもあるし、これから先聴けるように、ある種の期待を込めて…ということで容赦していただく。

 

『読まれなかった手紙について』は、手紙について歌っている。それは現代に生きるぼくたちにとっては少し奇妙に思える。なぜなら、ぼくたちが生きる2019年現在では、文字を使った人々のコミュニケーションはビジネスなら電子メールだし、プライベートに目を転じれば、圧倒的にLINEやSNSを用いた通信手段がぼくたちの生活の大部分を占めるようになっているからだ。まさに、電子メールすら既に古いツールとなった時代にいることを思い返して欲しい。
LINEやSNSと違い、手紙という媒体はきわめて不安定な存在である。LINEはネットワークに接続している限り、必ず相手に送信することができる。また、「既読」がつけばそのメッセージは相手に必ず届き、それが読まれたことも一瞬のうちにわかるシステムになっている。電子メールであっても、ビジネスでは「メールを読みました」ということを相手に送りあうことが定例になっているし、もし、返事がなければ「メール読みましたか?」という連絡もすることができる。その文章は通信途中でロストしてしまったとか、送信できなかったという可能性はほとんどない。このような現代の通信手段から目を転じれば、手紙でのやりとりというのは非常にあいまいであり、そもそも相手に届いたのかすらわからない。もしかしたら配達員がゴミ捨て場に捨ててしまうかもしれないし、間違って違う宛先に届いてしまうことだってある。また、正しくそれが届いたとしても、それが実際に読まれたことを確認する手段はない。それが手紙というツールの特徴である。

手紙は絶えず、その内容が正しく相手に伝わらなかったり、間違った宛先に届いたり、間違った解釈をして読まれる可能性にさらされている。だから、ぼくたちはつねに、「届かなかった手紙」のことや、「読まれなかった手紙」のことについて考えなければならない。しかしぼくはそれと同時に、「間違って手紙を受け取ってしまったけど結果OKだった」という可能性についても考えてみるべきだと思っている。


メールやLINEは必然性の世界である。必然性の世界は残酷だ。例えば、ぼくは楽譜が読めない。だからぼくが不幸にならないように、ピアノの先生や両親は、ぼくにピアノを弾かせることを諦めさせた。このことは必然性から考えて、極めて理論的だし正しいことだと思う。
けれども、実際のところ今のぼくはピアノを毎日弾いている。なぜか?それは、ピアノのことをあまりよく知らない仲間やバンドメンバーたちが、「あれ、なんかよくわかんないけど、ほぼうさ氏のピアノ意外といいんじゃない?」と適当に相槌をうち、それをぼくが真に受けたことに始まっているからだ。その適当さはもしかしたら、単に酔っぱらっていたり、話をするのが面倒だったのかもしれないし、あるいはぼくが傷つくのを避けるための優しさだったのだろう。しかし、その偶然性にみちた誤解こそが、今のぼくを成り立たせている。

これが、「間違ってメッセージを受け取ること」が生み出す可能性の世界である。それはつまり、必然性だけで構築する「メールやLINE」の世界ではない。偶然性や誤解、様々な可能性に開かれた「手紙」の世界なのだとぼくは考えている。

 

ぼくは、古谷峻が『読まれなかった手紙について』で、手紙が読まれなかったことへの絶望や不安、切なさを歌っているとは全く思っていない。むしろ逆である。彼は「その手紙がもしかしたら読まれたかもしれない」ことについて歌っているのだ。
確かに、意中の人には恋人ができて、現実にはメッセージは読まれなかったし、気持ちを伝えることはできなかった。それは単なる悲惨な出来事である。だけど、彼はメールやLINEでなく、手紙を題材にすることで、ぼくたちは「もしかしたらあの娘とつきあってたかもしれない未来」や、「あの手紙を読んでくれてたかもしれない並行世界」について夢想することができ、幸せな気分にひたることができる。そして、実はその「いくつかあり得たかもしれない、もうひとつの未来」を考えることこそが、本当にあの娘のことを想うことでもあるし、悲惨な現実を偶然性の世界に拡張させ、幸福へと好転できる可能性にも繋がる。

 

「読まれなかった手紙について」考えることは、「もしかしたら手紙が読まれたのかもしれない、もうひとつの可能性」について考えることである。だからぼくはこの曲が好きだ。そして、またライブで聴けることを期待して、ここで筆をおくことにする。