ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

J-ロックの変遷

1970年代まで、日本の音楽ジャンルは複数の名称を持っていた。歌謡曲フォークソング、ニューミュージック、ポップス、ロック…という具合である。これらのジャンルは互いに異なる機能を持ちつつ、それぞれ補完的に存在しあっていた。しかし、1985年には、突如としてこうしたジャンルの垣根が破壊されてしまう事態になった。「一億総ロック化」と呼ばれる現象である。

 

1985年より前、ロックというジャンルはたしかに存在したが、それはひとつのマイナージャンル―コアな島宇宙のひとつに過ぎなかった。演奏はへたくそだし曲も音楽理論なんて関係ないメチャクチャなもの。それでもおれたちゃ頑張って生きてんだよ、ツッパってんだよ!というのがロックだった。それは、細野晴臣YMOによって巻き起こったムーヴメント―「音楽ってオシャレ」にあくまでも反抗する、「反体制派」的な音楽であったと推測される。

 

ちなみに、ロックのメッセージ性には、微妙な変遷もある。当初、ロックが歌っていたのは反抗すべき「奴ら」の存在だった。自分たちを抑圧し、縛り付け、または疎外する「社会=奴ら」。実験動物のネズミのように飼いならされ、シッポをふる今どきの「奴ら」vs. 飼いならされることを拒んだおれら。こうした「奴ら性」をぶっこわしてやることを主なテーマとしていた。しかし興味深いことに、1970年代も後半に入ると、ロッカーたちが「奴ら」を喪失しはじめる。反抗すべき「体制」など、実はなかったのだということに気づき始めるのである。


「奴ら」の喪失がロックを導いた先、それは「陶酔」へのシフトチェンジだ。
「陶酔」の歴史は根が深い。古くはグループサウンズザ・タイガース)が「花の首飾りを白鳥にかぶせたら…娘になりました」(「ファッ!?」)という世界観に端を発するだろう。歌はとにかく意味が分からない。場合によってはステージ上で失神したりしている(オックス)。それでも人気を獲得できたのは以下の理由による
・現実を忘れさせてくれるから
・その世界観、わたしだけがわかるの


もちろん、文学的に考えて、花の首飾りを白鳥にかけることはまったく無意味である。それは現代において、エックスジャパンが「紅に染まったこのおれを…」と歌う無意味さや、ルナシーが「こわれそうなほどくるいそうなほどセツナイ夜には…」と歌う無意味さに通底する。時代をこえて同じくある、この感性こそが「陶酔」であり、「陶酔」を成立させ支えてくれるのはリスナーの感性「現実忘却」「わたしだけがわかるの」なのだ。

 

本当はこの話をもっと語りたいのだが、それは次回にするとして、話を元に戻そう。1980年代に入ると、「ボウイ」「ハウンドドッグ」がデビューし、アンダーグラウンドにしか生息しえなかったロックミュージシャンが一斉にテレビに進出することとなる。実際のボウイの楽曲は、ニューミュージック的な影響を大きく受けていたし、サビは歌謡曲的であることが多かった。しかし、表層としてはエレキギターをサウンドの中核にした「ロックというパッケージ」を身にまとっていたのである。


まさにこのとき、冒頭に書いた通りのことが起こる。歌謡曲フォークソング、ニューミュージック、ポップス…たちすべてが、ボウイのやっていたようにロックのパッケージを身にまとい流通する手法を、こぞって模倣することとなる。それゆえジャンルの垣根は無くなり、すべての音楽はロックの呼称に一元化して呼ばれる。「一億総ロック化」現象である。


ところで、我々は現在、これと同じ現象を別の呼称で見出していることに気づくだろう。いまは「ロック」が「J-POP」に覇権を取って代わられた「一億総J-POP化」時代なのである。
(この大ロック帝国時代、都内には急速にロック向けライブハウスが乱立し、毎晩のようにチケットはソールドアウト、集客しなくてもライブハウスにお客さんがわんさか訪れるという異例の時代になったそうだ。(この時代に生まれたかったわ…))