ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

映画『Bill Evans Time Remembered』を見てきた感想

一か月ほど前になるが、『ビルエバンス・タイムリメンバード』という映画を見た。

http://evans.movie.onlyhearts.co.jp/

上映されたのはミニシネマのような、小さな映画館でのみの限定公開ではあったが、おそらく、ぼくだけでなく日本にいるビルエバンスファンの方々は全員見に行ったのではないかと推測される。


ビルエバンスは、わが国日本では異例の人気を誇っている。日本で最も人気の高いジャズピアニストと言っても過言ではないだろう。その人気ぶりを象徴するように、彼のCDはきちんとレコーディングした、いわゆる「スタジオ版」以外もかなり流通している。様々な場所で録音されたライブの音源がそのまま、CD化され受容されているし、そういったものを含めて、日本国内で手に入らないビルエバンスのCDはほとんどない。
ところが他方、実は本国アメリカにおいてビルエバンスがさほど人気でなかったという事実にも触れておかねばなるまい。アメリカでは、マイルスデイビスの『カインド・オブ・ブルー』以降、一時的にビルエバンスのライブに観客が殺到する「カインド・オブ・ブルー特需」があったが(スコットラファロ在籍時の「黄金期」である)、マイルスデイビスの専属ピアニストがハービーハンコックになって以降は風向きが変わり、後期ビルエバンスはそれほど受け入れられていない。
しかしビルエバンスの演奏や楽曲は、ヨーロッパにおいてきわめて熱狂的に受け入れられた。実際、いまわれわれがYouTubeなどで閲覧できるビルエバンスのライブ動画のうちいくつかが、実はヨーロッパのツアーやテレビ番組の収録であったという事実が、そのヨーロッパでの人気を如実に物語っているだろう。その理由は、彼がブルース由来の熱さや力強さ、また速いパッセージのテクニックよりも、むしろ緻密なハーモニーと美しいメロディを重視したことによる。この現象は「黒人のジャズが白人化した」と俗に言われているが、ようするにそれはビルエバンスが「西洋クラシック音楽の伝統を重んじた、新しいジャズ音楽を創り上げたピアニスト」だったということに尽きる。
一方、わが国日本は音楽の後進国であるので、ビルエバンスの受容にはもう少し時間がかかっている。ヤマハなどのピアノメーカーが主導した「一億総クラシック計画」的なプロジェクトにより、大規模なクラシックピアニストの育成に成功した日本。そうした背景のもとでは、やはりヨーロッパの場合と同じく、ビルエバンスは人気である。


さて、ぼくがここで考えたいのは、ビルエバンスが同時代のアメリカでさほどウケなかったにもかかわらず、場所(ヨーロッパ)と時間(日本)をこえて人々に受け入れられた、その意味である。


おそらく、当時のアメリカには同時代の人々に受け入れられようと、懸命に「合わせに行った」ピアニストたちや、ミュージシャンたちがたくさんいたことだろう。そして、彼らは一時的に、ビルエバンスをはるかに凌駕する人気と売り上げを得たはずである。しかし、2019年のぼくらは彼らのことを一切知らない。時代の空気を読んで、積極的に当てにいった輩は、結局のところ歴史に名を残すことができないのである。


この事実は、ぼくたちに少し考え方の変更を迫るものだ。2019年のいま、ぼくたちはピコ太郎さんの『PPAP』のことや、前前前世のことを少しも覚えていない。ゲスの極み乙女の川谷えのんさんがベッキーと付き合っててライブで深々と頭を下げたことも、セカオワのメンバーがひとつ屋根の下「セカオワハウス」に住んでたことも忘れている。そのかわり、いまの世界は米津玄師に夢中である。しかし、ぼくらはこの先いつまで、米津玄師のことを覚えていられるだろうか。少なくとも、ぼくにはその自信がない。


映画『ビルエバンス・タイムリメンバード』を見たぼくは、それまでビルエバンスのピアノを何百回も聴いてきたにもかかわらず、また新しい発見をいろいろと得ることができた。いささか感傷的な表現になるが、彼のピアノをあらためて聴くと、まるで時間と空間を超えて、未来のぼくに向かって語りかけていたような気がしたのだった。
ビルエバンスは、積極的に同時代の空気に合わせにいかず、ひたすら音楽の伝統の上に立脚しながら、新しい音楽の可能性を探り続けていた。その結果、事後的にではあるが、彼のピアノは時間と場所を超え、未来に向けて奏でることとなったのだ。


昨今ほど、リアルタイムメディアが発展した社会もない。よく言われることだが、ピアニストとしていま最も有名になる方法は、都庁にあるグランドピアノで米津玄師の曲を演奏し、YouTubeにアップすることである。現に、ネット上の動画にはそういったものがすでに溢れ、飽和状態になっている。だが、彼らのピアノは、10年後、20年後の他者に語り掛けることができるのだろうか?
映画を見たぼくは、そうしたリアルタイムの音楽から遠く離れ、未来に向かってピアノを弾きたいと思った。かつて、ビルエバンスがそうしたように。