ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

Rolling Stone誌の記事はやっぱり面白い

相変わらず、ローリングストーン誌の翻訳記事は、日本のライターの書く凡百の音楽記事よりも最高に面白い。
『絶滅寸前の危機、ギターソロはもはや過去の遺物なのか?』
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30710

 

本記事の中では、アメリカではポップスやR&Bにおいて、もはや「ギターが使用されているものは稀だ」と書かれているし、むしろロックバンドにおいてすらも、「ギターよりも弾力性に富んだビートやプログラミングを多用し、ギターソロらしきものは全くと言っていいほど耳にしない」状態になっているそうだ。他にも刺激的な表現を用いて読者を笑わせてくれる箇所があるので、その辺りはぜひ原文にアクセスしていただきたい。
たしかに、国内でも大ヒットしたレディ・ガガの『Poker Face』を聞いた際、10年前ぼくが感じたのも全く同じ感想だった。それは、「ポップソングがこれからこの方向で発展するならば、どうやらエレキギターは必要なくなりそうだな」というものである。


ぼくのこの感想をもう少し補強しておこう。最初に必要なくなったのはギターではない。実際には80年代のアメリカがポップミュージックを生み出し、それが日本に輸入される過程で「ドラム」「ベース」「ピアノ」が順番にその役割を終え、必要とされなくなった。例えば、宇多田ヒカルの『Automatic』のバックに流れているのは、ドラムらしき感触だけを残した、ただの「プログラミングされた電子音」である。このように代替可能な電子音で生楽器を置き換えていくことをぼくたちは「打ち込み」「カラオケ」などと呼んでいるが、「打ち込み」によって真っ先に雇用を奪われたのはドラマーだったのだ。


しかし、そのように生演奏する楽器がその役割を次々に終えていく中で、なぜかエレキギターだけは残り続けた。それは日本を代表する電子音楽の巨匠、小室哲哉の楽曲を聞けば明らかである。彼がglobeで作曲したデビュー曲『Feel like dance』では、近未来的なサウンドを志向して電子ピアノ、シンセサイザーによるプログラミングで伴奏を構成している。しかし5枚目のシングル『Freedom』以降、小室哲哉は近未来サウンドに対し早々に限界を感じたらしく、あっさりとエレキギターを濫用している。そのギターは実際サウンドの要と言ってもいいぐらいで、彼の代名詞シンセサイザーは、サウンドを彩るいわば「ふりかけ」のような存在に成り下がってしまう。同様に、浅倉大介西川貴教による「T.M.Revolution」でもエレキギターは重要な存在だ。パワフルな歌唱力をウリにする西川貴教に「ハードなイメージ」をマッチさせるために用いられたのは、やはりシンセサイザーでなくエレキギターだった。また、エレキギターが伴奏の中心になっただけでなく、彼らは小室哲哉があまり好んで用いなかった「間奏、休憩時間としてのギターソロ」をかなり積極的に採用している。


エレキギターが必要とされ続けたのにはいくつか理由がある。そのうち主要なものをあえて選ぶなら、1.伴奏に最適な中音域の重厚さを持っているから、2.代替電子音でそのニュアンスを再現できなかったから、3.最もアクセスしやすいインターフェースだから、の3点に尽きる。このことを長々と説明するともういろいろと終ってしまうので、ここでは一旦省略させていただく。


ともかく、このように幾度となく訪れた「電子音による代替、失業」の危機を乗り越えてきたエレキギターは、いま祖国アメリカにおいて絶滅寸前の危機に瀕している。この文脈で考えるならば事態は一層深刻で、なおのこと興味深いものだ。