ほぼうさ’s diary

ロジカルオシレーターほぼうさのブログです

ワンマンライブを終えて

ライブにお越しくださった素晴らしい皆様には既におわかりだと思うが、ぼくらはワンマンライブというより、コンサートを開催した。それも名実ともに、である。結果は盛況だった…と信じたいところだが、ツイッターフェイスブックなどでぼくの悪口が書かれていないところを見る限り、一定の水準はクリアしていたようだ。
実際に来られなかった方々に言葉だけで伝えるのはとても難しいのだが、ぼくらの体現した「ワンマンライブ」は、その実のところ「ワンマン!」や「ライブ!」といったパワーワードのもつマッチョなイメージからは相当かけ離れたものだった。見に来られた方は最初、その雰囲気のギャップに戸惑ったであろうと思うが、最終的には納得していただけたとぼくは感じている。

 

ぼくは高校生のときにオリジナルへヴィメタルのバンドをはじめてから、既に20年近く、バンド活動を続けている。だから20歳くらいのとき同じバンドのメンバーだったやつが解散後、軌道に乗った別のバンドでワンマンライブをする、といったものは何回も見に行ったし、特に深い関わりのなかった人でも「集客がないと困るんです、助けてください…」といった具合で誘われた場合はもちろん見に行ったりもした。しかし彼らに対していつもぼくが痛切に感じたのは、いわゆるバカ売れした「ビッグネーム」のバンドのライブを、どこかミニチュアで再現しようとしているな、ということである。
実は、ぼくはそれでもかまわないと思っている。消費者は基本的に、同じものしか求めない。どこかで見たことある演出、完全なコピーじゃないけども聞き覚えのある曲調、歌、フレーズ…そういうものに敏感に反応して、肯定的な評価を下すのが消費者だ。消費者は保守的である。だからミスチルの、東京事変の、チャットモンチーの、そしてバンプオブチキンの反復しか求めない。現に2年前、あのラッドウィンプスが「君の名は」でバカ売れしたことにそれは表れている。「新しい音楽の形を求める先鋭的な消費者」がそこにいたのではない。そこにいたのは、ただ単に同じ味の反復を求めた保守的な消費者像があったに過ぎないのだ。
だから、成功を目指すバンドマンが自分のワンマンライブで、バカ売れしたアーティストの反復を試みるのはまったく正しいことだと思う。消費者は同じものが反復して生産され、提供されることを望んでいるし、それによってバンドは「売れる」。「売れる」とは経済的な規模の拡大を意味し、多くの人が潤い、雇用がうまれ、人々が幸せになることを意味する。

 

しかし、残念ながら音楽が売れ続けることは絶対にない。それは音楽に限ることではないが、歴史が証明している。だから永遠に拡大し続けるだろうと思われたぼくらのしあわせは、どこかで必ず限界にぶち当たるだろう。そうして限界にぶち当たったとき、同じことの反復は解決策を与えてはくれない。無限の反復は、永遠とも思える後退戦をジリジリと凌いでいくだけの地獄へと変貌するように感じるはずだ。
ぼくは、じつはアーティストこそがその無限の反復から抜け出し、新しい世界を提示するべき存在なのだと信じている。ぼくらはワンマンライブじゃなくてコンサートを行ったし、ふつうライブじゃやらないようなことを強引に採り入れたりした。そこには、人々がかつて見たことがあるものと同じようなものや、かつて聴いたことのあるものと似たものは存在しなかったと思う。だから、ぼくらのやっていることは相変わらず一般の消費者に広く受け入れられることはない。けれども、今の音楽界は誰が見ても明らかなほど衰退し、限界にぶち当たっている。今ぼくらがやるべきは同じものの反復ではなく、新しい世界や価値観を生み出すこと―これこそがアーティストとしての最低限のモラルだと思って、コンサートをやりきったのだった。

 

アーティストとリスナーの垣根がなくなった時代だ、とよく言われる。世の中はリスナーが作詞作曲し、リスナーが演奏した動画に溢れている。しかしそうしたものは、多くの場合反復でしかない。垣根がなくなった時代だからこそ、アーティストがアーティストたるゆえんが問われているのだと思い、これからも頑張っていきたいし、ぼくらの後に続く若者たちには是非とも頑張って欲しいと思っている。

 

あ、先日お越しくださいました皆様、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます!